【編集部より】
税理士法人や会計事務所はたくさんありますが、いざ自分の就職先として選ぶ場合、どういう点に特徴があるのか見出しにくいこともあるかもしれません。
そこで、本企画では日頃からライフプランナーとして、さまざまな会計事務所等と関わりを持つ菊池諒介先生(公認会計士/写真左)が、いま注目の法人・事務所経営者の素顔に迫ります。
File1は、名古屋・東京・小牧に展開する税理士法人ブラザシップ代表の松原潤先生(公認会計士・税理士/写真右)との対談。今回の記事では、会計士になるきっかけや監査法人からベンチャーキャピタルへの転職についてのお話です。
大学卒業間際に、公認会計士を志す
菊池 税理士受験生や若手会計士の方は就職先・転職先として会計事務所が選択肢にあがりますが、HPやネットの情報だけではなかなか事務所の特徴や違い、良さが伝わりにくい面があるのではないかと思っています。
そこで、本企画では会計事務所経営者の方にフォーカスして、日々どんなことを考えて事務所経営しているのか、人材育成についてどう考えていらっしゃるかなどのお話を伺いたいと思います。
第1回目のゲストは、税理士法人ブラザシップ代表の松原さんです。まずは、松原さんが会計士を目指そうと思われたきっかけを教えてください。
松原 2002年に公認会計士試験に合格し、監査法人に3年半いた後、ベンチャーキャピタル(VC)で10年働きました。その後、税理士法人ブラザシップ代表になって9年になるので、公認会計士としては20年程のキャリアになりますね。
私が公認会計士になろうと思ったのは、比較的遅くて、大学4年生の卒業間際でした。
実は、大学4年間バックパッカーとして、ひたすら旅に出ていたのです。というのも、「大学は勉強する場所ではなく、旅する時間だ」という親の教えを真に受けて、お金を貯めては一人でいろんな国・地域に旅をしました。
今から考えると、これはとても良い教えだったなと思っています。例えば、知らないものに対する好奇心やチャレンジ精神、あとは現地の人との交流など、旅では自分がオープンマインドで相手と接しないと全く面白くありません。それらが今、人とコミュニケーションをとる上でのベースになっているからです。
そんな学生生活だったので、いざ就活をするときに何もない状態でした。学生の今しかできない私なりの経験をしてきたのは確かです。しかし、どこの会社に入りたいか、どんな仕事をしたいかと聞かれても、全然答えが見つかりませんでした。それで、就職活動を1ヵ月程でやめてしまったのです。
そこから自分の将来を考えて、何になりたいかは全くわからなかったのですが、「どうなりたいか」という答えは見つかりました。それは、「自分にしかできない仕事ができるような人になりたい」と。
当時は、今よりもっと保守的な時代で、一つの会社で定年まで勤めるのが当たり前。転職活動も今ほど活発ではありませんでした。しかし、時代は変わるはずだから、自分が50歳や60歳になった時、リストラの可能性もあります。だから、「自分の力で食べていける人間になるには、プロフェッショナルになるしかない」と思いました。調べた結果、公認会計士が面白そうだなと目指し始めたのです。
菊池 ありがとうございます。そもそも会計士というお仕事はどういった経緯でお知りになったのでしょう。
松原 私の実家は岐阜で、近所に開業している会計士がいたので、その方にお願いして、「どんな仕事なのですか」と聞きに行ったのですね。
すると、「会計士は企業のお医者さんだ」、「会社を助ける仕事だ」とすごく面白いお話をしてくれました。今思えば、この方に話を聞いていなければ、違う職業に就いていたかもしれませんね。
菊池 大学4年生にして素晴らしい行動力ですね!
松原 今なら、SNSで集められる情報かもしれませんが、昔から人に聞くことに抵抗がなくて、教えてくださいというのは割と何のためらいもなくできたのですよ。
菊池 受験生時代はいかがでしたか。松原さんは優秀なイメージしかないので、やはりサクッと合格されたのでしょうか。
松原 いえいえ、すごく大変でした。私は2回目で合格したのですが、本当に優秀な人は一発で合格されると思いますので。
菊池 僕も2回目で合格しました(笑)。
松原 論文式試験まで進んだ時に、合格者がどれくらい勉強しているのかというレベルがわかったので、自分もそれくらいやろうと思って、1日15時間×362日くらいはひたすら勉強しました。
菊池 さすが、当時からストイックですね!
松原 大学の同級生が大企業に就職が決まって、一方で私だけ学生のようなままで、近所の目もありますから、ここで逃げたら僕の人生終わりだな、と。皆が仕事をしているように、自分は勉強が仕事だと思ってやっていました。
菊池 いやいや、仕事で15時間働く人ほとんどいないですよ(笑)。でも、僕含め多くの方々にとって、並大抵の努力では受からない試験ではありますよね。ちなみに受験勉強中や合格後、20代はこういうキャリアを積みたいというようなビジョンはお持ちだったのでしょうか。
松原 当時は、業界のことを全くわかっていなかったので、合格後は当然のように監査法人に入るものだと思っていました。「監査法人で一生働くかはわからないな」とは思っていましたが、他にどんな選択肢があるかがよくわかっていませんでしたね。
超大手企業の監査チームに配属された新人時代
菊池 監査法人でのお仕事はいかがでしたか。
松原 エピソードとして印象に残っていることが2つあります。1つは、1年目からいきなりトヨタ自動車のチームに配属されたことです。一般的には、3〜5人で監査チームを組んで、会社を担当することが多いですが、トヨタは規模が大きいので、メンバーが専属で1年間張りついて監査します。
それこそ、全国の選りすぐりの優秀な会計士が集まって、10人程度でチームを組むのですが、いきなりそのチームにアサインされました。
といっても、私は決して優秀だったわけではなくて、面接の時にどんな仕事がしたいかと聞かれたので、「国際的な仕事がしてみたいです」と答えたら運良く配属されたのです。
ところが、実際にチームに入ってみたら、クライアントも大きすぎるし、先輩方も優秀すぎて、実力の違いを突きつけられました。まるで落ちこぼれのような感覚になってしまったほどです。
菊池 いきなり国内トップ企業の監査チームに入れるのは大手監査法人ならではですよね。
松原 はい。ただその一方で、自分が求めているものが違うとも感じました。確かに、いわゆる出世コースではあるものの、大きい仕事がしたいわけではないということに気づきました。それよりも、「もっと近くにいる人から感謝されたい」と思ったのです。
菊池 なるほどですね。それがきっかけで転職をお考えになったのでしょうか。
松原 きっかけで言えば他にもあります。2つ目のエピソードですが、監査法人3年目で、インチャージ(主査)を任せてもらうことができ、上場したばかりの金融系企業を担当していたのですが、そのリース事業部がシステムを変えてはじめての決算時、旧システムとは全く違うリース情報、つまり誤った情報が新システムから出てくるという大きなアクシデントが生じました。
当然、決算期限は決まっているので、今晩中になんとかしなくてはならず、必死に原因を調べました。上場会社の決算ですし、借り手に送るリース情報は注記事項になりますから社会に相当な影響を与えるので、それを私たちが生み出してはならない。
その責任感から、その会社の経理部長と徹夜で作業し、なんとか目処をつけることができました。翌朝、近くのファミレスで一緒にモーニングを食べたのですが、その光景は未だに忘れられません。
菊池 それはとても厳しいシチュエーションですね…。
松原 このおかげで、「追い込まれてもなんとかできるな」と思えるようになりました。また、自分は周りの人たちを良くしたいし、そんな仕事がしたいということに気づくことができましたね。
それと、先ほどもお話ししたように、トヨタチームの先輩たちがあまりにも優秀すぎて、この人たちと同じ土俵で勝負しても、全然話にならないなとも感じました。
菊池 松原さんは王道の土俵でも充分成功されそうなので少し意外ですが、それは僕もかなり共感します。僕も転職を考えた時に、活躍する先輩会計士の方々にお話を聞いたのですが、先輩方皆さんが優秀すぎることと、自分のキャリアで本当に求めていることは既存のフィールドにはないのではないかと考えました。なので、あえて生命保険という会計士の王道からは外れたフィールドでライフプランナーという道を選んだんですよね。
松原 その選択は絶対に間違いなかったと思いますよ。私はかれこれ18年ほど前に、監査法人からVCへ転職したのですが、当時は今ほどVCという存在が世の中に認知されていませんでした。
だから、監査法人の上司たちも親も含めて、周りの全員から反対されました。でも、そこに飛び込んだからこそ今があると思っています。
菊池 今でこそVCへ転職する会計士は一定数いらっしゃいますが、当時としては珍しいキャリアチェンジですよね。いわゆる王道のキャリアから少し外れるような選択に不安はありましたか。
松原 全くなかったですね。憧れの会計士になったものの、監査のトップクラスの世界を目の当たりにして、自分が目指すところはこれじゃないと思った以上、何か新しいことをやってみたい、と。
これから先、何十年も不満を感じながら働き続けるよりも、全く知らない業界に飛び込みたいな、と考えました。だから、ワクワク感しかなかったです。
当時、「VCなんて一生続ける仕事じゃないぞ」と監査法人のパートナーからも言われ、今思えば鋭い指摘でしたし、すごく私のことを思ってくれたアドバイスだと思います。
ですが、どんな会社でも、一生安泰なんてことはありません。自分が手に職をつけ、一人でも食べていける人間になるということを考えてきたので、それなら早めに監査業界の外に出て揉まれたほうが、自分のスキルアップにつながるだろうと思いました。
ベンチャーキャピタルの創業メンバーとして
菊池 VCへの転職時には、どのような転職活動をされたのですか。
松原 実は、全く何もしていません。今のように転職エージェントもありませんから。たまたま、仲が良かった友人から、「上司がVCを立ち上げるのに人を探してるけどどうだ」と声をかけてもらったので、どんな仕事かを聞きに行くと、未来を変えるようなベンチャー企業に出資をして、自分たちも経営に参画して育てるという話でした。
その話に興味を持って、「やります!」と即答したのです。なので、他の選択肢などは全く考えず、まさに直感で決めましたね。
菊池 偶然とはいえ、「こうありたい」という松原さんの信念が、そのお話を引き寄せたのでしょうね。
松原 そうですね。自分が探し求めていたからこそ、そのタイミングで偶然、ご縁に恵まれたのではないかと感じています。でも当時は、ベンチャーキャピタルに関する知識はありませんでした。
ただ、仕事はとても面白そうで、このフィールドで活躍したいと思ったことはよく覚えています。
菊池 しかも、その立ち上げからということですが、メンバーは何人程いらっしゃったのですか。
松原 創業メンバーは4人です。だから、転職してから、VCの社長には「たった4人のところによく来てくれたね」と言われましたよ。
でも、それに対しても、私自身は「え、そうなんですか⁉」という具合で、よくわかっていなかったところはあります(笑)。むしろ、そのような感覚のほうが、情報を集めすぎて、行動できなくなるよりもいいのかもしれませんね。
仕事としては、4人だったので、文字通り、なんでもやらないといけませんでした。投資先の発掘や見極め、投資委員会への報告書を書いたり、投資後のサポート、ファンド自体の経理や運営もあるので、全部やりましたが、ものすごく面白かったです。
菊池 すごく濃い20代を送られたのですね。
松原 ほんとに刺激的でした。ただ、実は敗北感も味わいました。というのも、監査業界から外の世界に出たのですが、会計士だということで変なプライドもあって、「何とかなるだろう」と思っていました。
そうしたら、VCの社長から、「この会社に投資していいと思うか」とか、「この会社はどんな戦略をとったらいいと思うか」、「この会社の投資額はいくらにしたらいいか」と矢継ぎ早に質問をされるのですが、何もわからない状態だったのです。
社長も、若手会計士を雇うのは初めてのことで、会計士だったら、ある程度のことはわかっているだろうという期待を込めていたはずです。しかし、私自身は投資の世界や経営の話は全くわからなかったので、「わかりません」としか応えられませんでした。
だから、ついに「お前、それでも会計士か!」と言われたほどで…、それ以外でも私があまりにも仕事ができなさすぎて、よく怒られていましたよ。
菊池 全く想像つかないです!
松原 いやいや。忘れもしない会社のクリスマス兼忘年会の日、その日の夕方にも社長から激烈に怒られて、自分ができなさすぎて、泣きながらご飯を食べたこともありました。
だから、とにかく勉強だと思って、その社長がとにかく本を読む人で、オフィスに本がたくさんあったので、私もその本を借りてひたすら読みましたし、社長が外出する時にはまるで秘書のようについて回って、どんな会話をしていたかをメモしたり、わからないことを調べたりしていましたね。
菊池 松原さんは以前からストイックな方だという印象がありますが、そのような原体験をお持ちだったのですね。
松原 あの当時、クビにされなかったことに心から感謝していますし、未だに社長には頭が上がりません。本当に、育てていただいたという感じです。
若いうちに外の世界でチャレンジしてほしい!
菊池 今の時代にはもしかしたら流行らないかもしれませんが、やはり20代の早い段階で、プレッシャーや危機感のある中で一生懸命仕事をする経験は大事だと思います。
松原 ものすごく大事ですね。VCでの仕事は、別に会計士でなくてもできることなので資格の有無は全く意味をなさないです。
そういう意味では、自分のパフォーマンス次第の環境に身を置いたことはハードではありましたが、成長を加速することが出来たと感じます。
外の世界で経験を積むなら、早いほうがいいですよ。ぜひ、若いうちにどんどんチャレンジをしてほしいです。
実は先日、私の会社で社員旅行がありまして、新卒の子に「何かアドバイスください」と言われたのですが、「とにかく勉強すること。会計や税金のことで、誰よりも知っているという人間だったら、必ず重宝されるから。だから、四の五の言わずに、とにかく働こう」という話をしました。
これは、いつの時代も変わらず大事なことではないかと思っています。
菊池 めちゃめちゃ大事ですよね。特にこれからの時代はサービスや商品そのものより「人」の付加価値が大切になってくると思うので、何歳になっても自己研鑽は必須だと思っています。
(第2回につづく)
<対談者紹介>
◆松原 潤(まつばら・じゅん)
税理士法人ブラザシップ 東京オフィス/代表社員
公認会計士・税理士
大手監査法人勤務後、トヨタ系ハンズオン型ベンチャーキャピタルで、様々なベンチャー企業の修羅場を経営者と乗り越える。現在は経営支援型会計事務所の代表を務める。
コアスキルは、財務、コーチング、戦略的思考、心理学。経営者のポテンシャルを120%引き出して理念ビジョンを叶える仕事と、ベンチャー支援がライフワーク。
■税理士法人ブラザシップ https://www.brothership.co.jp/
◆菊池 諒介(きくち・りょうすけ)
プルデンシャル生命保険株式会社 東京第三支社
コンサルティング・ライフプランナー
公認会計士
1級ファイナンシャルプランニング技能士
2010年公認会計士試験合格。約3年間の会計事務所勤務を経て、「自身の関わる人・企業のお金の不安や問題を解消したい」という想いで2014年、プルデンシャル生命にライフプランナーとして入社。MDRT(下記参照)5年連続入会の他、社内コンテスト入賞や長期継続率特別表彰など、表彰多数。2016年より会計士の社会貢献活動を推進するNPO法人Accountability for Change理事に就任。公認会計士協会の活動として組織内会計士協議会広報専門委員も務める。趣味はフットサル、カクテル作り、カラオケなど。
MDRTとは
1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は、卓越した生命保険・金融プロフェッショナルの組織です。世界中の生命保険および金融サービスの専門家が所属するグローバルな独立した組織として、500社、70カ国で会員が活躍しています。MDRT会員は、卓越した専門知識、厳格な倫理的行動、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険および金融サービス事業における最高水準として世界中で認知されています。
個人ページ:https://mylp.prudential.co.jp/lp/page/ryosuke.kikuchi
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