ライフプランナー/会計士・菊池諒介、事務所経営者の素顔に迫る File5:株式会社SoVa 代表取締役CEO・山本健太郎氏②


【編集部より】
税理士法人や会計事務所はたくさんありますが、いざ自分の就職先として選ぶ場合、どういう点に特徴があるのかわかりにくいこともあるかもしれません。そこで、本企画では日頃からライフプランナーとして、さまざまな会計事務所等と関わりを持つ菊池諒介先生(公認会計士/写真右)が、いま注目の法人・事務所経営者の素顔に迫ります。
File5は、株式会社SoVa 代表取締役CEO・山本健太郎氏(公認会計士/写真左)との対談です。
<全3編>
前編:SoVaのビジョンや事業内容について
②中編:公認会計士を目指したきっかけと幻の退校届
後編:会計業界をとりまく今後の環境と時代の変化

公認会計士を目指したきっかけと幻の退校届

菊池先生(以下、敬称略)
前編では、SoVaの事業について伺いましたが、やまけんがそもそも公認会計士を目指したきっかけなどもお聞きしたいです。

山本先生(以下、やまけん)
真面目な話になりますけど、父の仕事の関係で、小学生の時はロンドンに住んでいました。それで、「僕も大人になったら英語を喋ってグローバルに活躍するぞ」と思っていたんですけど、父は10言語くらい喋れる上に、実は結構優秀な外交官で、国連の議長なども務めていたんですね。

そういうのを知るうちに、「そもそも父に勝てるのか」という話と、自分がいざ大学に入学したら、英語が喋れる人なんて周りにゴロゴロいて、「英語だけでは生きていけないな」と思うようになりました。

自分にもう1つ掛け算するなら何か、なんでもいいから探そうと1年生の時に思って、「商学部だからこれだ」と、あまり何も考えずに、とりあえずTACの公認会計士講座に申し込みました。

実際は、別に弁護士でもなんでもよかったんですけど、商学部生は会計士講座の説明会に参加したら、当時、500円の図書カードがもらえると聞いて、「じゃあ、これだ」と公認会計士が何かもよくわからずに申し込みました。

菊池 僕もそうでしたけど、会計士が何するかをちゃんと理解してから始める学生って、ほぼいませんよね。

やまけん そうですね。なんとなくビジネス系の資格で年収が高いっぽいし、受かったらチヤホヤされるっぽいという理由だけで始めました。

ただ、いざTACに入ったら周りが皆優秀なので、負けるのはイヤだなと思って、ライバルと切磋琢磨して頑張って、気づいたら受かったという感じでしたね。

菊池 受かるグループに属するというのは大事ですよね。

やまけん とはいえ、途中で何回もやめようと思いましたけどね。
起業していても「きついな」と思うことはあって、「引くに引けないから頑張る」というのは、意外と正しいような気がします。
受験時代は何回かやめようかと思いましたけど、周りに助けられて今があります。

菊池 やまけんは受験エリートのイメージだったので、そういう話を聞くと少し安心しますね。

やまけん 実際、5回くらいは「退校届」を書きましたよ。ただ、毎回講師の方や受付の方に「頑張りなさい」と止められて、退校できませんでした…。
だから、「なぜ受かったか」という問いに関しては、「やめなかったから」と言えると思います。

「受かるまで諦めなかったから受かった」というだけであって、受かったことにそれ以外の理由なんかないのかもしれないです。

菊池 とても共感します。特別な才能が必要とされる試験ではないですからね。

やまけん 実際に、講師として受験生に教えていても、合格者1,000人中10人くらい、つまり1%くらいがいわゆるギフテッドのような、1回聞いたら全部覚えられる天賦の才能がある人ですが、たったそれだけです。つまり、合格者でさえ99%がそうではなくて、勉強を頑張ったから受かっているのですよね。

ただ、今はSNSがあるから、その1%のすごい受験生をよく見てしまうのですが、実際は、そんな人がたくさんいるわけではありません。

ファーストキャリアに「講師業」を選んだ理由

菊池 前編では「今しかできないから講師になった」というお話がありましたが、その辺りについてもう少し詳しく聞かせていただけますか。

やまけん 合格者の平均年齢が26歳くらいの試験に、僕は当時20歳で合格したので、6年間くらいは好きなこと、ただやりたいことだけをやって、もし6年後に違ったらもう1回ゼロベースに戻ればいいやと思ったのです。

それで、立ち位置とか周りの意見、見方とかをいったん全部横に置いて、「何がやってみたいか」を純粋に選んだ時に、監査法人より講師業のほうがやってみたかったんですね。

講師業をやることを妨げていた理由は、周りから「まだ予備校にいるの?」「監査法人で実務経験積まなくて大丈夫?」と言われる体裁だけだったので、一旦2年間やってみて、講師として鳴かず飛ばずだったらやめようと思っていました。

菊池 もともと人に教えることは好きだったのですか?

やまけん 好きでした。中学生の時からクラスメイトを集めて補講みたいなことを放課後に勝手にしていましたね。

ビジネスもそうだと思うのですが、第1戦目は絶対に勝てるマーケットで戦うべきだと思っていたんですよ。

苦手だけどやってみたいことって当然あるし、いろいろとやってみたいことはあると思いますが、「勝つ確率が高いところ」から最初は攻めるべきだと思って、そういう意味では講師業は勝てると思ったから参入したという点はありますね。

菊池 仰る通りで、最初はとにかく成果を出すというのは大事な側面ですからね。

やまけん 講師業が安定してきたら、次はコミュニティ作りに挑戦しました。「全会連」といった会計士受験生のネットワーク団体を設立して、その後は「若い」という強みがあったので若手CFOという文脈で、自分にかけ算をしていって、いわば「わらしべ長者物語」のようにキャリアをつくっていきました。

実務経験がほぼない中、ベンチャーCFOに就任

菊池 ベンチャーCFOは事業会社の勤務経験がない中でのチャレンジだったと記憶していますが、実際どうでしたか。

やまけん それはものすごく大変でした。

確かに、周囲のほぼ全員から、「事業会社や監査法人経験もないのにCFOは無理だ」と言われて、「いや、自分ならできる」と言いながら就いたのですが、結果、周りの意見は結構合っていました。

会計士試験って、言ってもペーパーテストなので、合格しただけで、なにかが実務上できる訳ではないんです。よく考えたらfreeeの操作すらわからない。決算書も、事業計画も、ピッチ資料も作れない。

当然、投資家にピッチはできない、バリュエーションは決められない、資金繰り表も作れない、営業もできない…という話で、当時「給料は高いけど何ができるの?」と言われた時は、ものすごくショックではありましたが、「図星だな…」と思ってしまいました。

ただ、「大変なこと」と「できないこと」はイコールではないので、とても大変だったけど、本を買ったり、人に聞きに行ったりして必死に勉強して、それこそ、このシリーズのFile4で、菊池さんが対談されたアクリアの平石さんに事業計画の作り方は教えてもらいました。

学んでからやる、できるようになったからやるという人もいると思いますけど、僕はやると決まってからできるようにする後追いタイプなので、いつもヒーヒー言いながらなんとかしてます。

菊池 僕も平石さんの授業を受けて受験時代に勉強をしていましたが、やまけんもTACの受験生時代からのつながりですよね。

やまけん はい、平石さんは僕がTACで受験勉強していた頃からの恩師です。

平石さんはすごく熱い人なんですよね。僕はTACで講師業をスタートさせたのですが、中途半端な仕事をすると厳しくフィードバックされた一方で、「ココいいね!」という時はとことん褒めてくれましたし、相談に行ったらたくさんサポートもしてくれました。平石さんのそういう姿勢は今でもすごく尊敬していますね。

菊池 このシリーズの過去記事に遡ると、RSM汐留パートナーズの前川さん(本シリーズFile3)ともご縁があるのではないでしょうか。

やまけん 前川さんはSoVaの株主なのですが、一代で汐留パートナーズをあの規模にまで成長させたお話は、いつもとても勉強になっています。

雰囲気は優しいんですけど、ものすごく合理的でロジカルで、深く考えている。その優しさとロジカルさのバランスがすごくて、自分も身につけたいな…と感じています。

菊池 この話の流れで思い切って聞きますけれども、講師業でCPA会計学院に移籍した決め手は何かありますか。

やまけん 一番の決め手は、国見さんと一緒に仕事がしてみたいなと思ったからです。

国見さんはビジョナリーな人なので、「こういうふうな社会にしたい」、「教育をこういうふうに変えたい」、「受験業界をこうしたい」という思いが強い人なんですよね。

当時、僕は22歳でしたけど、「25歳までは”誰”と仕事するかが一番重要」と言われていて、それを考えた時に、「国見さんの自分のビジョンに邁進してるところはいいな」と思いました。

これは当時、国見さんにも直接言いましたけど、「国見さんと一回仕事がしてみたいからCPA会計学院に入った」というのはありますね。

菊池 なるほど。僕も国見さんには大変お世話になっていますが、本当に魅力的な経営者さんですよね。先ほどのCFO時代のお話に戻りますけど、「教わってからやる」のではなくて、「とりあえずやりたいことをやる」というのは、特に若いうちに大事なことですよね。

やまけん 公認会計士の資格って、結局取ったから何かができるわけではないんだけど、「いざとなった時になんとでもなる資格」だと思っています。

だとすれば、「できそうだから」とか「できなそうだから」ではなくて、「やりたいと思うか」という判断基準で、「やりたいと思えばやればいい」というほうが後悔は少ないと思うんですよね。

人生一度きりだし、せっかく公認会計士という大きなセーフティネットを手にした訳ですから臆せずチャレンジするのは、とても素敵なことなのではないかな、と思っています。

後編へつづく

【対談者のプロフィール】

◆山本 健太郎(やまもと・けんたろう)

公認会計士 株式会社SoVa 代表取締役

慶應義塾大学在学中に公認会計士試験に合格、大手資格学校にて公認会計士講座講師を務める。
卒業後は同級生が起業した不動産系ベンチャー企業にて、取締役CFOとしてバックオフィスや資金調達、新規事業統括を担当。
2019年9月にCFOを退任し株式会社SoVaを設立、税理士などの士業とテクノロジーをかけ合わせた新しい形の会計事務所「SoVa」を開発・展開する。
2023年、Forbes JAPAN 30 UNDER 30「世界を変える30歳未満」120人に選出。

◆菊池 諒介(きくち・りょうすけ)

プルデンシャル生命保険株式会社 東京第三支社
コンサルティング・ライフプランナー
公認会計士
1級ファイナンシャルプランニング技能士

2010年公認会計士試験合格。約3年間の会計事務所勤務を経て、「自身の関わる人・企業のお金の不安や問題を解消したい」という想いで2014年、プルデンシャル生命にライフプランナーとして入社。MDRT(下記参照)6年連続入会、2022年はCOT(Court of the Table)入会基準を達成。その他、社内コンテスト入賞や長期継続率特別表彰など、表彰多数。2016年より会計士の社会貢献活動を推進するNPO法人Accountability for Change理事に就任。公認会計士協会の活動として組織内会計士協議会広報専門委員も務める。趣味はフットサル、カクテル作り、カラオケなど。

MDRTとは
1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は、卓越した生命保険・金融プロフェッショナルの組織です。世界中の生命保険および金融サービスの専門家が所属するグローバルな独立した組織として、500社、70カ国で会員が活躍しています。MDRT会員は、卓越した専門知識、厳格な倫理的行動、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険および金融サービス事業における最高水準として世界中で認知されています。

個人ページ:https://mylp.prudential.co.jp/lp/page/ryosuke.kikuchi

【バックナンバー】
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