【編集部より】
税理士法人や会計事務所はたくさんありますが、いざ自分の就職先として選ぶ場合、どういう点に特徴があるのかわかりにくいこともあるかもしれません。そこで、本企画では日頃からライフプランナーとして、さまざまな会計事務所等と関わりを持つ菊池諒介先生(公認会計士/写真左)が、いま注目の法人・事務所経営者の素顔に迫ります。
File4は、株式会社アクリア代表取締役の川崎 勝之先生(公認会計士・税理士/写真中央)・平石 智紀先生(公認会計士・税理士/写真右)との鼎談です。
<全3回>
第1回 経営で大切にしていることや事務所の雰囲気
第2回 会計士を目指すきっかけや経営当初のこと
最終回 これからの会計事務所や受験生へのメッセージ
なぜ公認会計士になろうと思ったのか
菊池 第1部では経営で大切にされていることや事務所の雰囲気などについてお聞きしましたが、第2部では、お二人の会計士としてのキャリアヒストリーをお聞きしたいと思います。
その前に、会社エントランスには、Jリーグの湘南ベルマーレの選手パネルがありますね。どのような関わりをされているのでしょうか。
川崎 スポンサーとして支援を行っており、神奈川県平塚市にあるレモンガススタジアム平塚にアクリアのバナー広告を掲示しております。他にも、UFC(アメリカの総合格闘技)に参戦する総合格闘家の中村倫也選手、北京冬季パラリンピック2022に出場したアルペンスキーの青木大和選手のスポンサーも務めております。
一見、会計業界とは異なるジャンルですが、メンバーやクライアントなどのご縁もあり、アクリアとして支援したいという気持ちから微力ながらサポートしております。メンバーがスタジアムに応援に行くなどの機会があるので、仕事とは違った場面から良い刺激を受けていますよ。
菊池 そのような関わり方ができるのも経営者の醍醐味ですよね。サッカー好きとして気になったので思わずお聞きしてしまいました。
それでは、お二人がそもそも公認会計士になるきっかけを教えて頂けますでしょうか。
川崎 私の場合は、遡ると、高校は進学校に通っていたのですが、音楽やバンドにハマりすぎて中退してしまい、大学は二部(夜間)に進学しました。大学の卒業時はバブル崩壊直後で、ふと気がつくと、なかなか志望する就職が難しい時代になっていたのです。そこで、「自分自身でキャリアをつくるために、難しい試験を受けよう」と決めました。
その時に、父が若い頃に公認会計士を目指していたけれども家庭の事情から受験を諦めざるを得なかったという話をしていたことを思い出しました。「だったら、私も公認会計士を目指そう」と思ったのですが、始まりがそんな生半可な気持ちだったので、最初の受験2年間はフリーターのような生活でした。これではだめだと気持ちを入れ替えて、4回目の受験で合格することができました。公認会計士になった時は、誰よりも父が喜んでくれました。
菊池 それはお父様とても喜ばれたのでしょうね。受験勉強はいかがでしたか。
川崎 私はもともと友人が多いほうでしたが、専門学校では周りに友人が全然おらず、わりと一人でやっていました。他の受験生がどんな勉強をしているのかもよくわからず、手探りで取り組んでいたので苦労しました。
菊池 受験仲間を作るメリットと作らないメリットそれぞれありますよね。僕も最終的には一人で頑張っていたタイプなので親近感を覚えます。
では、平石さんが公認会計士になるきっかけは何だったのでしょうか。
平石 私の場合は、高校時代にファミリーレストランでアルバイトをしていたのですが、休憩室で電卓を叩いているアルバイトの先輩の方がいて、「何しているんですか?」と聞いたら、税理士試験の勉強だったのです。子どもの頃から数字が好きだったのこともあって、「勉強するのも楽しそう」と興味がわき、さらに話を聞いてみたら「学生だったら公認会計士がいいんじゃないか」とアドバイスを頂きました。
高校生の時から「大学に進学したら何かしよう」と思っていたので、公認会計士を目指すことにしたのですが、いざ学習を始めてみたら、「計算」だけでなく「理論」もものすごく勉強しないといけないことに驚愕しました。
ただ、私の場合、受験仲間は多くて、むしろ多すぎたゆえに勉強以外にも仲良くなりすぎてしまったせいで合格まで時間がかかったところがあります。ある時、1年早く合格した友人に勉強のアドバイスを求めたところ、「だって、全然勉強してないでしょ。たぶん俺と同じ時間やったら受かったと思うよ」とストレートに言われたのです。
そこからは、きちんと勉強時間を記録したり、仲間と答練の点数を競ったりして、自分をなんとか律して合格することができました。当時の受験仲間の多くは公認会計士になって、今でも良い繋がりが続いていますし、中にはアクリアで非常勤として助けて頂いている方もいます。
独立志向
菊池 お二人は合格当初から独立志向をお持ちでいらっしゃったのでしょうか。
川崎 私は特に決めていませんでした。一つだけ決めていたことは、「自分の会計の知識を活かして、自分も中核に入って経営をしていきたい」ということです。そのフィールドが、監査法人なのか、事業会社なのか、自分の事務所なのかまでは全然想像できていませんでしたが、経営したいということはぼんやりと考えていました。
平石 私の場合は父が自営業だったこともあり、当初より大きい会社で働くイメージをもっていませんでした。どちらかというと、とにかく目の前のことをひたすら頑張るという考えで、講師業を始めた時も、監査法人を移る時も、自分が信頼する人に勧められたことがきっかけにあります。
キャリアのスタートが専門学校の講師業だったこともあり、公認会計士としての実務力にディスアドバンテージを感じていたので、よい意味での危機感や焦りのようなものを10年以上抱えていたので、そのコンプレックスが逆に原動力になってよかったと思っています。
独立は特に考えていなかったですが、個人事業主の仕事での成功体験を得意分野の異なるメンバーで持ち寄ってチームで提供したら大きな価値が生まれるだろうと考えたのがきっかけです。
私自身はベンチャー支援や中小企業支援が経験としては多かったですが、事業会社に対してのコンサルティングをチームで価値提供する中で、財務会計領域では講師業での経験が大きな強みになりましたし、プロジェクトマネジメントや管理会計活用領域ではベンチャー支援での経験が強みになりました。逆に、苦手な分野は川崎さんをはじめ周りの初期メンバーに頼っていました。
菊池 健全な意味で人に頼るということは、相手の良さを引き出すことでもありますよね。お二人がナイスコンビでいらっしゃることがすごく伝わってきます。
お客様に喜ばれる仕事と採算性のジレンマ
菊池 よく聞くお話として、特に経営当初は、お客様に喜ばれる仕事には会計事務所として採算の良いものだけでなく、悪いものもあると思います。そのあたりでジレンマを感じられたことはありますでしょうか。
川崎 最初の頃から、あまり打算的な目線で仕事を取りに行っていなかったので、「自信を持ってお役に立てる仕事」という視点でご提案をしていましたが、最終的にそれがお互いのビジネスとしては成立しなかったということは何回かありました。
平石 きちんと価値を出すためにあまり最初から価格として低い提案はせず、その分求められることも高かったですが、よいメンバーに恵まれていたので取り組むことができましたね。
菊池 なるほどですね。前回のお話で、平石さんが仰った「ミスター安請け合い」とは真逆の戦略なのですね。
平石 そうですね(笑)。そこは個人的には若干葛藤がありました。私の中では個人事業主時代であれば自分がタダ働きになってもいいからこの案件を何とか続けたいと思うものもありましたが、ファームで取り組む際にはその理由をきちんと説明できないといけません。自分一人の仕事であれば将来的に黒字になるものを最初は赤字で引き受けても問題ありませんでしたが、会社としての判断はそうはいかず最初は難しかったですね。
正直なところ、当時は「どうしてできないのだろう」と思ったこと事例も一部ありました。ただ、それに関して、「できない」という判断が会社としてできたことは、結果的にも自分にとっては良かったと思います。
川崎さんは私のことをよく理解してくれているので、将来を見据えて新しい仕掛けを私が推進するときには「数年後には何か形になるのではないか」と尊重してくれます。一方で、会社として取り組む分野はお互いにシビアに進めてきました。
菊池 そのような判断ができる理由は、川崎さんが事業会社でマネジメントを経験されてきたからこそなのでしょうか。
川崎 あまり意識したことはありませんでしたが、そういう面もあるのかもしれません。
ある程度リスクも考慮してさまざまなことを慎重に考えながら判断しなければいけないので、その思考が染みついている部分はあるでしょうね。
平石 僕が個人事業主の感覚でやっていたら、会社としてはもっと混乱していたと思います。
今は逆にアグレッシブさがプラスになる時がありますが、当初のフェーズでは自分としてもよかったと思います。
菊池 「独立」というキャリアを考えたときに、早く独立するメリットと経験や力をつけてから独立するメリットがそれぞれあると思いますけれども、それぞれ異なるキャリアのお二人が交わったからこそ、アクリアさんは最初から順調に経営をされてきたのだろうなと感じました。
第2部ではキャリアヒストリーとアクリアの経営当初のことなどについて伺いました。次回の第3部では今後の会計事務所業界や人材育成・採用などについてお聞きします。
(つづく)
<鼎談者紹介>
◆川崎 勝之
公認会計士・税理士
株式会社アクリア代表取締役・税理士法人アクリア代表社員
1995年東京経済大学経済学部卒業。1999年公認会計士二次試験合格、センチュリー監査法人(現 EY新日本有限責任監査法人)入所。2003年4月公認会計士登録。
2005年株式会社デジタルガレージ入社、2006年同社業務執行役員、2009年同社上級執行役員。2012年株式会社アクリア 代表取締役、税理士法人アクリア代表社員就任。この他にも、数社の監査役等を務める。
◆平石 智紀
公認会計士・税理士
株式会社アクリア代表取締役・税理士法人アクリア代表社員
2001年慶應義塾大学経済学部卒業。2002年TAC株式会社入社、公認会計士二次試験合格。
2003年新日本監査法人(現 EY新日本有限責任監査法人) 入所。2007年公認会計士登録。
2008年監査法人アヴァンティア入所。2011年株式会社アクリア代表取締役就任。2014年税理士法人アクリア代表社員就任。2015年日本公認会計士協会東京実務補習所運営委員会副委員長。この他にも、数社の取締役・社外監査役等を務める。
◆菊池 諒介(きくち・りょうすけ)
プルデンシャル生命保険株式会社 東京第三支社
コンサルティング・ライフプランナー
公認会計士
1級ファイナンシャルプランニング技能士
2010年公認会計士試験合格。約3年間の会計事務所勤務を経て、「自身の関わる人・企業のお金の不安や問題を解消したい」という想いで2014年、プルデンシャル生命にライフプランナーとして入社。MDRT(下記参照)6年連続入会、2022年はCOT(Court of the Table)入会基準を達成。その他、社内コンテスト入賞や長期継続率特別表彰など、表彰多数。2016年より会計士の社会貢献活動を推進するNPO法人Accountability for Change理事に就任。公認会計士協会の活動として組織内会計士協議会広報専門委員も務める。趣味はフットサル、カクテル作り、カラオケなど。
MDRTとは
1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は、卓越した生命保険・金融プロフェッショナルの組織です。世界中の生命保険および金融サービスの専門家が所属するグローバルな独立した組織として、500社、70カ国で会員が活躍しています。MDRT会員は、卓越した専門知識、厳格な倫理的行動、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険および金融サービス事業における最高水準として世界中で認知されています。
個人ページ:https://mylp.prudential.co.jp/lp/page/ryosuke.kikuchi
【バックナンバー】
ライフプランナー/会計士・菊池諒介、事務所経営者の素顔に迫る
File1:税理士法人ブラザシップ代表・松原 潤氏① ② ③(全3回)
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File3:RSM汐留パートナーズ株式会社代表取締役社長CEO・前川研吾氏&同税理士法人パートナー・長谷川祐哉氏① ② ③(全3回)
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