ライフプランナー/会計士・菊池諒介、事務所経営者の素顔に迫る File3:RSM汐留パートナーズ株式会社代表取締役社長CEO・前川研吾氏&同税理士法人パートナー・長谷川祐哉氏②(全3回)


【編集部より】
税理士法人や会計事務所はたくさんありますが、いざ自分の就職先として選ぶ場合、どういう点に特徴があるのかわかりにくいこともあるかもしれません。そこで、本企画では日頃からライフプランナーとして、さまざまな会計事務所等と関わりを持つ菊池諒介先生(公認会計士/写真右)が、いま注目の法人・事務所経営者の素顔に迫ります。
File3は、RSM汐留パートナーズ株式会社代表取締役社長CEOの前川研吾先生(公認会計士(日米)・税理士/写真中央)・RSM汐留パートナーズ税理士法人パートナーの長谷川祐哉先生(税理士/写真左)との鼎談。今回の記事では、独立のきっかけから今後の展望についてのお話です。

独立しようと思ったきっかけ

菊池 前回の記事では、RSMに加盟された経緯などをお聞きしましたが、前川さんは、もともと早い段階で独立しようと思っていらっしゃったのでしょうか。

前川 監査法人に入所してから4年目くらいのときですかね。「このまま監査法人にいるよりは、外の世界に出たほうが、自分は活躍できるんじゃないかな」と思いました。

監査という仕事はおもしろかったのですけれども、実はあまり得意ではありませんでした。クライアントと仲良くしてはいけないとか、クライアントを常に疑ってかからなきゃいけないとか、私にはあまり向いていないなと感じたのです。

監査以外の仕事で色々と考えて、色々な人に相談したら、「前川さんはコミュニケーションが好きだし、独立が合っているんじゃないか」とアドバイスをいただき、具体的に考え始めました。

菊地 独立当初は、苦労されたこともあったのでしょうか。

前川 税理士業務は思っていたものと全然違ったなということですね。クライアントにもっと寄り添って、同じベクトルで仕事がしたかったので、最初は汐留パートナーズ株式会社というコンサルティング会社を設立し、そして併設で会計事務所がありました。税務業務はサブ的なポジションでした。しかし、独立直後にリーマンショックが起きてしまい、IPOが激減し、コンサルティングのニーズがぐっと減ってしまいました。

そこで、「税務をやらなきゃ」ということで、単価はそれほど高くないですけれども1件ずつ税務の顧問契約を受注していきました。今となっては、これはすごく良かった話なのですが当時はもがき苦しんでいました。当時は監査法人やFAS業務でお付き合いする会社と、税理士としてお付き合いする会社の規模やビジネス感覚が違いすぎて、たとえば、メールを送ってもなかなか返事が返ってこなかったり、手紙を送っても届いていないと言われたり、「これは辛いな」と思うことがありましたね。

あとは、監査法人は大半が会計士試験に受かった人なので、そもそも優秀な人が多い環境だと思います。でも、独立当初、私がまだ至らなかったなと思うのは、働きながら受験をしてる税理士受験生の気持ちや、なかなか試験に合格しない方に対する配慮などが極めて欠けていたことです。独立当初3年くらいは、スタッフにも「頑張れば受かるはずだから、努力が足りないんだろう。なんで受からないの」という気持ちが表に出てしまっていたので、そういうところも尖っていたと言われる部分なのかもしれませんね。

菊池 それはなかなかですね(笑)。長谷川さんは入社された頃はどのような環境でしたでしょうか。

長谷川 私が入ったのが、ちょうど税務業務が広がりかけていた頃だったんですけれども、今よりも前川とメンバーとの距離が近かったこともあって、確かに厳しいことを色々と言っていたなというのはありますね。ただ、その時いたメンバーは、それを糧に成長しているところはあると思います。

自分の上司が事務所トップという環境だったので、とにかく「必死についていかなきゃ、追いつかなきゃ」ということ以外に考える余裕はあまりなかったような気がします。むしろ、今入社したメンバーが、代表から直接何か言われることはほとんどないでしょうから、貴重な経験だったかもしれませんね。

独立のタイミングと経験

菊池 独立を考える会計士の中には、「監査法人から一旦会計事務所やコンサルティングファームで修行してから独立したほうがいいのか」、はたまた「若いうちになるべく早く独立したほうがいいのか」など様々な考え方があると思います。この点について、前川さんはどう思われますでしょうか。

前川 最近独立を希望される方の話を聞くと、監査法人の後に1回どこかの事務所を経由するのが王道らしくて、いきなり独立するなんて無謀だと思われているようです。私自身は、もちろん大変だったことも山ほどあるのですけれども、交流会などで出会った方や、非常勤先の監査法人にいる独立している先輩会計士・税理士の方など、おかげ様で色々な相談相手がいました。あとは、書籍やインターネットで調べて答えにたどり着くことで、何より自分を成長させてくれたのが大きいと思っています。

私は税務を始めた時から、常に無限責任を負っているんですよね。私の後に誰もチェックしない状況、私がミスしたら訴えられるという状況で常にやってきたので、それこそ徹底的に調べますし、「これでいいや」という妥協がありませんでした。

なので、大変でしたが、会計事務所で手取り足取り教わって普通に成長するのとは違い、我流ではありますが、ものすごく成長できましたし、感度もすごく高くなったと思います。

菊池 それは前川さんがすごいというのもあると思いますけれども、そういう覚悟や責任を背負ってしっかり誠実に業務をこなすことで、経験の少なさをカバーできるという側面もあるということでしょうか。

前川 そうですね。ものすごく勉強しました。書籍もたくさん買いましたし。独立したての頃は経験があまりない中で仕事を受注してくるので、営業の段階で少し強気に、「大丈夫です。任せてください」と言って、後から調べて考えるということは正直あります。でも、その期待にしっかり応えるべく、ものすごく勉強しました。

菊池 まさに「立場が人を作る」というお話ですね。長谷川さんは、小規模だった頃の良さもご存じだと思いますが、当時大変だったことや苦労したことはありますでしょうか。

長谷川 普通であれば、先輩や上司がいて、もし自分がミスをしても、そのチェック過程で指摘や訂正をされて成長していくと思いますが、当時はまだ人数もいなかったので、その過程を飛ばして、0から100まで自分が責任者という状況でスタートしています。前川のように無限責任というのは、当時は負っていませんが、それでもクライアントに対しては、自分が未熟だけど最終責任者だという気持ちで、ひたすら勉強をして調べてやってきました。

前川 本当は私がどこかの事務所で3年くらい経験して、もう少し仕事を回せるようになってから長谷川と合流し、もう少しゆっくり成長して、今日この日が20~30年目くらいであるべきだと思うんですよね。でも、実際は今まだ15年目ということを考えると、この成長スピードには無理があると思うんです。だから、「同じスピードでもう一度ここまでやれ」と、もし言われてもできないよね(笑)?

長谷川 そうですね。今、あの時の状況を受け入れろというのは無理ですね(笑)。

北海道での受験勉強環境

菊池 前川さんに受験生時代のお話をお聞きしたいのですが、北海道では東京に比べて、会計士受験に関する情報に積極的に触れられる機会も多くなかったのではないでしょうか。

前川 なかったですね。当時、専門学校は大原かLECの二択で、札幌にはTACがなかったんですよ。私はLECで受講していたのですが、校舎に講師はいなくて、送られてくるビデオテープを見て、わからないことは手紙で質問するという環境でした。

大学では経済学部経営学科に在籍し、簿記の授業を受けた時に、「これはおもしろい」と思いました。経済学を勉強していても、学生の時は「何に役立つんだろう」と感じていました。今はもちろん、ミクロ経済学もマクロ経済学も、仕事や経営に役立つことはわかったんですけど、当時はあまり気づけず、簿記のような実学のほうが自分にはおもしろいと感じたんですね。

それが大学2年生の頃で、3年生になると皆が就職活動をし始め、「自分も就職活動しなきゃいけないのかな」と思ったのですが、「この会社に行きたい」という志望は特にありませんでした。

在籍していた監査論のゼミには、会計士や税理士を目指す人も多くいて、「会計士になると税理士にもなれるらしい」と聞きました。でも、「会計士はTACの渋谷校で、朝7時から答練をしているような人しか受からないから、北海道でのんびり勉強していたら合格は無理だよ。」と。当時はそんな認識でしたね。

それでも、1回だけやってみようかなと思い、金銭的な理由もあって車を売却して予備校代にあてて、LECの1年半コースに申し込みました。先取りでどんどん勉強していたら、半年で短答式試験に受かることができました。

菊池 半年で短答合格!すごいですね!

前川 短答はすごく得意で、勉強は楽しかったですね。会計士試験を目指すのが遅かったので、大学3年生の秋頃から少しずつスタートして、論文式試験には大学卒業後に合格しました。

激務の中、税理士試験国税三法(法・所・相)に合格

菊池 長谷川さんはどのようなきっかけで税理士を目指されたのでしょうか。

長谷川 大学1年生の春休み頃、2年後には就活があるという状況で、やりたいことも具体的になくて、「どうしようかな」とモヤモヤ考えていた時期がありました。

当時周りでは企業に就職するか、公務員になるかという選択肢が主流で、自分にとってはどちらもピンとこなかったんですね。そこで、色々と資格を調べて、数字や簿記が好きだったこともあり、会計士や税理士という資格に興味を持ちました。

その当時、結婚式場のアルバイトをしていたのですが、リアルな場ですごく感謝されることもあり、好きな仕事だったんです。なので、将来的にはそういった直接的にお客さまから感謝される仕事をしたいと思うようになり、大学2年生の夏頃から税理士試験の勉強を始めました。

菊池 なるほど〜。長谷川さんのホスピタリティはウエディングのバイト時代に培われたんですね。

長谷川 大学時代ずっとやっていたバイトだったので、対お客さまだったり、スタッフ同士の協力関係だったり、そういったことも含めて色々と考えていたように思います。

菊池 税理士試験の受験勉強はいかがでしたか。

長谷川 学生だった頃は時間にゆとりもあり、簿記論と財務諸表論に合格することができました。そこで、「あ、これいけるな」と油断して勉強しなくなった期間がありまして、働き出すまで引っ張ってしまったんですけれども…学生時代と比べると、やはり働きながらの受験勉強は相当大変でしたね。

菊池 今日、長谷川さんにお聞きしたかったことの1つが、相当なお仕事のお忙しさの中で受験勉強をどのように両立されていたのかという点なんですよね。詳しくお聞きしたいです。

長谷川 税法科目は働きながら1年1科目ずつ合格しました。「1年でしっかり終わらせる」ということを一番意識していましたね。睡眠時間を削っていたので、遅くなるとまた寝れない日々が続くわけですし(笑)。

文字通り、仕事と勉強しか当時はしていなかったです。本試験直前期の4~8月頃は、土日は会社に泊まり込んだりして、金曜日の終業後にはそのまま会社で寝て、土日は会社で朝から勉強して、月曜日の朝、一旦家に帰るというような生活でした。正直、今やっていいよとは言えないですし、まったく推奨はしませんが、自分の意思でそういう形で両立していました。

仕事ではまだ自分の能力が低いことや、当時は今のように誰かがカバーできる組織体制でもないことから、基本的には自己完結ですべてやるので、どうしても時間がかかりました。なので、気力と体力で乗り切りましたね。

前川 長谷川は、特にボリュームの大きい法人税法・所得税法・相続税法の国税3法に働きながら合格しているんですよ。

菊池 えっ、国税3法ってかなり大変ではないですか?何か強いこだわりがあったのでしょうか。

長谷川 一度、消費税法を勉強したことがあるのですが、興味のないものは勉強できない性分のようでして、1ヵ月しか勉強できなかったんです。なので、少しでも興味のある科目を選ぼうと思ったら、その3つになりました。

あと、単純にこれは考え方なのですが、「ボリュームが大きいほうが受かりやすい」という見方もありました。ボリュームの少ない科目は、どこか少しでも解答ミスをしたら終わりという一発勝負の世界ですが、それに比べて、ボリュームの大きい科目は、勉強した分がしっかり反映されて、多少のミスをしても実力があれば受かるという発想でした。そういう視点から選んだという理由もあります。

合格後のキャリアをどう描いていたか

菊池 長谷川さんは受かった当初、税理士としてどんなキャリアを積みたいと考えていらっしゃったのでしょうか。

長谷川 そうですね。20代半ばで合格した時、汐留パートナーズには生粋の税理士、税理士業務に100%コミットする人がおらず、私が1人目でした。前川から、「これから頼むよ」と言われたものの、組織というより「自由に1人でできる」という観点でも私自身は考えて、ただ、独立や転職も違いますし、どういう方向性にいくか本当に色々なことを考えていました。

税理士の場合、プレイヤーから始まることが多いと思うのですが、合格したタイミングで税務部門をまとめるポジションになったということもあって、案件に100%コミットできないということに対してもどかしかった時期もあり、1〜2年ほど悩みましたね。

実はその頃、税理士の資格の無力さも感じ始めていたのです。なるまでは「税理士を目指して頑張る」というのがモチベーションにつながっていましたが、なってみると「大したもんじゃないな」と。

というのも、経営者の方とお会いすると、税理士ってすごいちっぽけな存在だなと思って、税理士という肩書ではなく、「人として信頼される人間にならないといけないな」と感じることが増えたのです。その辺りは前川がすごくて、会計士という資格ではなくて、経営者として信頼されるという姿を見せてくれているので、自分もそうなりたいと思うようになりました。

そんな時に前川がよく言っていたのが、「個人として独立してやるのも楽しいけど、組織として個人ではできないことを皆で一緒に楽しくやっていく」という話でした。確かにそれはそれですごく魅力的だなと思い、汐留パートナーズの税務部門を大きくして、ちゃんとした会社にして、その中で自分のやりたいことをやろうと考えるようになりました。

前川 大風呂敷を広げましたので、私は汐留パートナーズを大きくすることなりました(笑い)。こうして長谷川も信じてついてきてくれているので、安心して彼に税務を任せて、私は私で経営のほうで頑張らないと、自分の存在意義が発揮できないなと思っています。

個人事務所から組織化するタイミング

菊池 お2人の信頼関係が本当に素敵です。前川さんが独立した後、「組織を作ろう」と思われたタイミングはいつ頃なのでしょうか。

前川 比較的早かったと思います。会計事務所を立ち上げて、自分の城を持つことはすぐにできてしまうんですよね。でも、独立はゴールではなくて、「そこから何をやるか」であって、それこそ独立してみて、「こんなもんか」と思ってしまったのです。

あと、それまでは先輩や同期、後輩がいて、相談したり、一緒にご飯を食べに行ったりしていたのが、1人で始めたらものすごい寂しいなというのがあって、「組織化したい」と考えるようになりました。

菊池 事務所の規模として、たとえば10人くらいがちょうどいいと思う方もいらっしゃると思いますが、そこから100人規模にするモチベーションというのはどの辺りにあったのでしょうか。

前川 当時から「10年で100人にする」とは明言していました。独立当初から「ワンストップサービス」が事務所のコンセプトだったのですけれども、いざやってみると、ものすごく人数が必要であることがわかったからなんですよね。

例えば、クライアントが会社を設立して、ビザや許認可を取って、会計税務も、人事労務も、法務もと、色々な業務が出てきて、それぞれで難易度の高いサービスを提供するとなると、この分野のチームには5人、このチームには3人と、人数が必要になります。当初から100人規模でなければできないことをコンセプトにしていたのです。現在は14年目で役職員が180人いるのですが、やればやるほど、高度なサービスを求めるからかもしれませんが、まだまだ規模が足りないなと思っています。

例えば、行政書士チームにはまだ5~6人しかいませんが、クライアントに満足いくサービスを提供するとしたら、今の2~3倍の人数が必要です。会計税務領域でも、国際税務をさらにやっていくにあたっては、今のチームも少し規模を大きくし、その道に詳しい人が入ってこないと、本当の意味でクライアントにとって満足のいくサービスを提供できない気がしています。なので、私の感覚的には500~1,000人くらいまで増やしていかないといけないのかな、と思いますね。

サービスごとのプロフェッショナルと、産業ごとのプロフェッショナルを育てていく。そういう規模になる必要があることを今ひしひしと感じています。

菊池 汐留パートナーズが目指す方向性のためには、必然的に規模が大きくなるということでしょうか。

前川 そうなのです。別に何人にしたいとか、そういうことではありませんが、私たちが実現したい世界やビジョンを達成するためには、大きな船でないと進めないのです。

事務所が小さかった時は専門性の高い少数精鋭でサービスを提供してきて、一定程度、組織が大きくなると、マネジメントが重要になります。今後業界が寡占化してくると予想していますが、そうすると、サービスや産業に対して高度な専門性が大事になると思います。行ったり来たりを繰り返して、結局はマネジメントも専門性もどちらも大事だという結論に達しています。

今後の展望と英語との向き合い方

菊池 前川さんの今後の展望などを教えていただけますでしょうか。

前川 今、慶応義塾大学大学院のMBAコースで勉強をしていて、今年3月で修了予定です。なので、今後は、現場は長谷川に任せて、私自身は会計士というより、完全に経営者に振り切ろうと考えています。

RSM本部のボードメンバーになることを1つの目標にしつつ、現在は海外周りを担当しており今年は海外出張の予定もたくさんありますので、世界中の会計人に日本代表としてぶつかっていこうと考えています。

私の中では色々な夢が広がっていますし、そういうことを自由にできるのも、公認会計士・税理士という資格のおかげでもあり、長谷川のようなメンバーが支えてくれて「どうぞ行ってきてください」と言ってくれるので、ありがたく行ってこようと思っています。メンバーには感謝しかないですね。

菊池 海外出張も多いということですが、英語はいつ頃から勉強されたのでしょうか。

前川 30歳を過ぎたくらいから勉強し始めました。それまで全くできなかったんですよ。

汐留パートナーズに10年以上勤めるメンバーの1人にUSCPA(米国公認会計士)の資格保有者がいるのですが、彼が入社し国際事業部を立ち上げて外資系クライアント向けに業務を始めたんです。いつも彼が英語の契約書を持ってきて、私はそこにサインをしていたのですが、ふと不安になりまして…。何が書いてあるのだろうと。

当時は、今ほどテクノロジーが進んでおらず、高性能な翻訳ツールがないので、あまり中身もわからず彼を信じてサインしていたのですが、「さすがに自分でチェックしないのもやばいのでは」と思い、34〜35歳の頃に、受験期間2年ほどでUSCPAを取得しました。

USCPAも取得しましたし、「これはTOEIC950点くらい取れるだろう」と思って、受けてみたらなぜか600点で、「あれ⁉︎」と。私としては、「アメリカの公認会計士になったのにおかしいな」と思って、周りに聞いたら、「いや、そんなことはあり得ない、850点はないとUSCPAには受からない」と言われました(笑)。そこで一度英語をきちんと勉強しようと思って学び直しました。先日、TOEICは870点だったので、一応ずっと進化している感じですが、それでも、あまり喋れないから「どうなっているんだろうな?」という感じではあるのですけれどもね。

でも、今の時代は本当にラッキーで、素晴らしいテクノロジーのおかげで、汐留パートナーズは外資系にサービスを提供するので英語を使うのですけれども、英語ができるかどうかは強制していません。Microsoft Teamsのオンラインミーティングでも、自動で英語のテロップが出るようになっていますし、そのうちそれが日本語に変わるようになると、英語を話せる必要はなくなりますよね。そういう未来を信じている若手もいるので、英単語を覚えるとか、英語を話さなければいけないという固定観念はもはや古いのかもしれません。

英語は世界の共通言語であるし、グローバルに仕事する未来は間違いないですけれども、テクノロジーを使うという選択肢もあるので、私はそれを否定しませんし、辛い経験をしてまで英語を覚える必要があるかどうかは定かではありません。ただ、私は代表者として自分の言葉で外国人とコミュニケーションを取りたいので、自分の意思で勉強しているという感じですね。

つづく


<鼎談者紹介>

前川 研吾(まえかわ・けんご)

RSM汐留パートナーズ株式会社代表取締役社長CEO
EY新日本有限責任監査法人監査部門にて製造業、小売業、情報サービス産業等の上場会社を中心とした法定監査に従事。また、同法人公開業務部門にて株式公開準備会社を中心としたクライアントに対する、IPO支援、M&A関連支援、デューデリジェンス等のFAS業務に数多く従事。2008年に汐留パートナーズグループを設立、代表取締役社長に就任。2009年グループCEOに就任し、公認会計士・税理士・弁護士・社会保険労務士等のプロフェッショナル集団を統括。公認会計士(日本/米国)・税理士・行政書士。

長谷川 祐哉(はわがわ・ゆうや)

RSM汐留パートナーズ税理士法人パートナー
都内の会計事務所を経て、2011年汐留パートナーズグループに入社。2015年税理士登録と同時に、RSM汐留パートナーズ税理士法人パートナーに就任し、その後中核部門である会計税務事業部部長を務める。上場企業やIPO準備会社に対して、連結納税支援、原価計算・管理会計導入支援、会計ソフト導入支援などの高度なコンサルティングサービスを提供している。国税三法と呼ばれる所得税、法人税、相続税の3つの税務に精通。税理士。


◆菊池 諒介(きくち・りょうすけ)

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プルデンシャル生命保険株式会社 東京第三支社
コンサルティング・ライフプランナー
公認会計士
1級ファイナンシャルプランニング技能士

2010年公認会計士試験合格。約3年間の会計事務所勤務を経て、「自身の関わる人・企業のお金の不安や問題を解消したい」という想いで2014年、プルデンシャル生命にライフプランナーとして入社。MDRT(下記参照)6年連続入会、2022年はCOT(Court of the Table)入会基準を達成。その他、社内コンテスト入賞や長期継続率特別表彰など、表彰多数。2016年より会計士の社会貢献活動を推進するNPO法人Accountability for Change理事に就任。公認会計士協会の活動として組織内会計士協議会広報専門委員も務める。趣味はフットサル、カクテル作り、カラオケなど。

MDRTとは
1927年に発足したMillion Dollar Round Table(MDRT)は、卓越した生命保険・金融プロフェッショナルの組織です。世界中の生命保険および金融サービスの専門家が所属するグローバルな独立した組織として、500社、70カ国で会員が活躍しています。MDRT会員は、卓越した専門知識、厳格な倫理的行動、優れた顧客サービスを提供しています。また、生命保険および金融サービス事業における最高水準として世界中で認知されています。

個人ページ:https://mylp.prudential.co.jp/lp/page/ryosuke.kikuchi

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