
【編集部より】
話題になっている経済ニュースに関連する論点が、税理士試験・公認会計士試験などの国家試験で出題されることもあります。でも、受験勉強では会計の視点から経済ニュースを読み解く機会はなかなかありませんよね。
そこで、本企画では、新聞やテレビ等で取り上げられている最近の「経済ニュース」を、大学で教鞭を執る新進気鋭の学者に会計・財務の面から2回にわたり解説していただきます(執筆者はリレー形式・不定期連載)。会計が役立つことに改めて気づいたり、新しい発見があるかもしれません♪ ぜひ、肩の力を抜いて読んでください!
大阪公立大学准教授・井上謙仁
みなさん、ふたたびこんにちは。大阪公立大学の井上謙仁です。
先日めちゃくちゃいいライブに行きました。いい音を浴びるのは本当に楽しいですね。
さて、前回は社外取締役の報酬についてお話ししました。その状況をみると、日本の社外取締役の報酬はそれほど高額ではなく、かつ業績との関連があまりありませんでした。
社外取締役の役割は「お目付け役」として、株主の利害に一致するように経営者の行動をモニタリングすることです。それを達成するために、社外取締役を高額な報酬や業績に連動する報酬でインセンティブを与えることが考えられます。
しかし、現状ではそのような報酬契約となっておらず、社外取締役の役割が十分に果たされていない可能性があるということでした。
このような社外取締役のインセンティブの状況は、役員等賠償責任保険(Director’s and Officer’s Liability Insurance: D&O保険)の観点からも議論することができます。今回はD&O保険についてお話しします。
D&O保険への加入の増加
前回、日本経済新聞の記事を紹介しましたが、その同じページにD&O保険への加入が増加しているという記事[1]が掲載されています。具体的には、2025年度の大手損保4社でのD&O保険の加入件数は約1万2,400件でした。これは5年前より2割増加で、前年度よりも7%の増加と報告されています。加入の増加の背景には、情報漏洩やサイバー攻撃のようなリスクが増え、経営者個人にその責任が問われることに対しての備えが必要となっている状況があるようです。
D&O保険は役員が訴訟などで被る可能性のある賠償責任を補償するために、企業が加入する保険です。これの加入により、役員個人に生じるリスクを軽減することにつながります。このリスクの軽減は社外取締役のオファーにも影響するかもしれません。すなわち、経営上のリスクが低いなら、社外取締役になってあげようと思う人が増える可能性があるということです。
一方、「お目付け役」である社外取締役にも、ある程度の経営上のリスクを抱える必要があるかもしれません。そのような立場であることで、経営者のリスクある行動をモニタリングするインセンティブが働くからです。しかし、D&O保険に加入することで社外取締役のリスクが軽減されると、社外取締役の役割が十分に果たせないという可能性もあります。
D&O保険はどんな契約になっている?
では、D&O保険の契約内容とはどのようなものなのでしょうか?
2021年から公開会社にはD&O保険を契約している場合にその内容についての開示が義務づけられています(会社法施行規則119条2号の2、121条の2)。これに従い、日本企業では、有価証券報告書の「コーポレート・ガバナンスの概要」にD&O保険の加入状況が記載されています。
具体的にみてみましょう。前回も紹介した日立の有価証券報告書では、D&O保険の契約内容について以下のように記載されています。ここから、日立での被保険者の範囲や保険契約の概要、保険料の負担者が企業自身であることがわかります。

(出典)株式会社日立製作所「第157期有価証券報告書(自2025年4月1日至2026年3月31日)」75ページ。
補償金額の開示をしている企業もあります。たとえば、日本基礎技術の有価証券報告書では、D&O保険の限度額を5億円とすることが明記されております。

(出典)日本基礎技術株式会社「第73期有価証券報告書(自2025年4月1日至2026年3月31日)」26ページ。
加入企業はどれぐらいある?
日本企業全体に目を向けてみましょう。前回も紹介した筆者らの研究では、2018年4月期から2025年3月期までの有価証券報告書の「コーポレート・ガバナンスの概要」の文章を抽出することで、上場企業でのD&O保険の加入状況が調査されています(井上・藤谷・𠮷田 (2025))。ここから、2024年度[2]には3,305社がD&O保険に加入している旨を開示していることが明らかとなりました。これはサンプルの84.7%が加入していることになります。
また、2021年の開示制度の制定以降、D&O保険の加入数と加入割合は年々増加していることも確認されました。具体的には加入数(加入割合)は2021年度に3,019社(78.5%)、2022年度に3,190社(81.9%)、2023年度に3,268社(83.3%)でした。
海外と比べてどうか?
井上・藤谷・吉田 (2025)では、先行研究で示された海外の加入率についてもまとめられています。ここから、アメリカでは92〜99%、カナダでは70〜76%(84〜89%とする調査もある)、ドイツでは75%程度の加入があることが示されました。一方、東アジアに目を向けると、中国では1〜12%、韓国では25〜36%でした。
ここから、日本のおおよそ80%という加入率は欧米と同程度に高い水準にあることがわかります。一方、日本の加入率は東アジア諸国の中では突出して高いことも明らかとなりました。ただし、海外の結果は10〜30年前を対象とした調査が入っていて、特に韓国は2002年〜2008年の期間での調査となります。最近の動向をふまえると、日本と東アジア諸国との比較結果が変わる可能性がある点には注意が必要です。
この状況をどう解釈する?
井上・藤谷・𠮷田 (2025)の結果から、80%を超える日本企業がD&O保険に加入していることが明らかとなりました。しかも、それは国際的にも高い水準にあることも確認されました。
D&O保険への加入によって、社外取締役が負うべき経営上のリスクは、多くの企業で軽減されていると考えられます。これには望ましい側面もあるでしょう。しかし一方で、たとえ経営者が株主の利害を毀損するように行動したとしても、D&O保険があることで、社外取締役は「モニタリングを怠って損害が生じても、自分に責任が降りかかりにくい」と考えてしまうかもしれません。これは、経営者をモニタリングするという社外取締役の役割が十分に機能しなくなることを意味します。
つまり、D&O保険の加入率の高さは、日本企業の社外取締役に対するインセンティブにとって、かえって不利に働いている可能性があるのです。
報酬やD&O保険の状況から、日本企業の社外取締役の役割は十分に果たされていない可能性がうかがえました。それを改善するためには、社外取締役のインセンティブを見直す必要があるでしょう。ただし、どのようなインセンティブを設計するのが望ましいのかについては、まだ証拠は十分に蓄積されていません。
この点については、今後研究を進めていくことで明らかにしていきたいと考えています。
[1] 「社外取 3社以上兼務400人―役員賠償保険 加入2割増」2026年6月20日付日本経済新聞朝刊、3ページ。
[2] 年度は当年4月はじまり、翌年3月おわりの期間で設定されている。
(参考文献)
井上謙仁・藤谷涼佑・𠮷田政之. 2025.「社外取締役のインセンティブ —報酬とD&O保険の実態調査—」『産業經理』85(3): 130–145.
【この記事を書いてくれた人】
井上謙仁(いのうえ・けんと)
大阪公立大学大学院経営学研究科准教授。2018年に大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程修了、博士(経営学)。研究では、会計情報や株価情報を用いた統計的手法による実証分析を行っている。詳しい経歴等はウェブページにて参照可能。
主な著書に『経営者報酬の理論と実証』(編著、中央経済社、2024年)、『会計学の実証分析入門』(編著、中央経済社、2026年)などがある。











