教えて!てりたま先生「会計士監査」のちょっといい話 Episode 0 ― てりたま青年、会計士になる!


てりたま

【編集部より
公認会計士にとって、「監査」はメインストリームの仕事。ですが、会計士受験生も「監査論」でその考え方は学んでいるものの、具体的に内容をイメージできないという方も多いのではないでしょうか。
そこで、「ぜひその魅力を知っていただきたい!」ということから、本連載では、大手監査法人で30年強、うち17年をパートナーとして務められ、またnoteで監査に関する有益な情報を多数発信されている、まさに監査のプロフェッショナルである「てりたま先生」に、監査の仕事が具体的にイメージでき、またその魅力が感じられるさまざまな内容をご執筆いただきます(全4回)。
てりたま先生ご自身のご経験等を踏まえた内容は、受験生のみならず、現在監査の現場で格闘されている方々にも有益です。
それでは、てりたま劇場、スタート!
<全4回>
Episode0 てりたま青年、会計士になる!
Episode1 監査ってどんな仕事?
Episode2 海外で働くということ
Episode3 不正が発覚!どう対応する?

公認会計士の勉強をはじめたきっかけは?

「公認会計士」という言葉を初めて聞いたのは、中学生のときでした。
私の中学の先輩が大学在学中に公認会計士に合格したらしく、先生が「公認会計士は難しい試験で、学生ではなかなか通らない」と誇らしげに話していました。

それっきり忘れていましたが、私自身が大学生になったときにふと思い出します。
当時あこがれていたのが青年海外協力隊。ところが、任期を終えて帰国しても就職に困っている人のことを聞き、何か手に職、それも資格があれば食いっぱぐれないのではないか…。
その時思い出したのが中学生のころに聞いた「公認会計士」でした。

私が会計士試験の二次試験(今の論文式試験)を目指して勉強をはじめたのは、1988年の3月。
簿記をまったく知らないところから専門学校に通い始めます。
大学2年生になる直前でした。

家族や親戚、先輩にも会計士はおらず、合格後はまったく未知の世界でした。
たまに合格者らしき人が専門学校に遊びに来ていると後光が差して見えます。
遠巻きに見ながら、自分があの人たちと同じようになれるとはとても想像がつきませんでした。

初受験でのエピソード

当時は短答式もなく、科目合格制度もないので、試験は一発勝負です。
1989年の夏、はじめて二次試験を受けました。

初日の原価計算(今の管理会計)で投資計画の経済性計算が出題されます。
A案、B案のどちらが有利かを問う問題。終了した休み時間、「あれ、A案でいいよね」「俺はA案にしたよ」「よかったー」という会話が周りの受験生から聞こえてくる。
B案と解答した私は蒼白になりました。

二日目朝。
家で支度していると、受験票がありません。
家族総出で家じゅうを探しましたが見当たらない。
受験会場に電話してみますが、まだ守衛の方しかいないので分からないとのこと。
これで受験できなかったら縁がなかったとあきらめるしかない、と腹をくくって会場に行きます。
受験票、ありました!
風で飛ばされもせず、ほかの受験生にいじわるされることもなく、机の上に前日と同じ状態で置いてありました。

1989年は、当時としては大量合格世代です。
合格率が前年の7.3%から10.4%に跳ね上がり、合格者数も1.5倍以上に。
ちょうど昭和天皇崩御により元号が変わった年で、「平成恩赦」と言われました。
私としては波乱含みの初受験でしたが、ラッキーにもその波に乗って合格できました。

就職活動、そして監査法人での勤務スタート!

就職活動は、前述のように業界の知り合いがいないため手探りでした。

とりあえず「大手法人」と言われるところを回ります。
今ほどリクルートに力を入れていない時代。
「風通しのよさ」のような説明はなく、就業時間の短さをアピールする法人、クライアントの顔ぶれをアピールする法人などさまざま。

そのころには青年海外協力隊のことはすっかり忘れてしまい、ほかの受験生と同じようにベルトコンベヤーに乗って、気が付いたら就職していた感があります。

入社してからの5年間は、大規模な上場企業と上場準備会社の両方の監査を担当しました。

思い出深いのは上場準備会社の方です。
売掛金に長年の差異がたまっていて確認状を送っても全然合わなかったり、まともな原価計算がなかったり。現金実査して、10円合わないということもありました。
立ち会った部長さんが自分の財布から10円を出そうとするので、「いや、そういうことじゃないんです」と説明してやめていただきました。

一方、大企業に行くと、エリート然とした人がいて、若手会計士を値踏みしてきます。
経理以外の部門に話を聞きたければ、必ず経理経由でアポイントを取り、経理の方同席のもとでヒアリングしなければなりません。
資料を依頼すると、「去年の先生からは依頼されなかった」「事前の資料依頼に入っていない」などと言われることも。

窮屈に聞こえるかもしれませんが、大企業では経理のプロフェッショナルが多く、会計という共通言語を話す人種同士の連帯感を感じました。
また、発生する事象が複雑で、会社の方もよく調べ考えているので、監査チームの上司・先輩との会話のレベルが高く、とても勉強になりました。

シニアスタッフ3年目に海外駐在へ

青年海外協力隊の夢はどこかに行ってしまいましたが、海外で働きたい気持ちは強く持っていました。
スタッフからシニアスタッフに昇格し、3年目にチャンスが到来します。

アメリカを希望していたら、「ヒューストン事務所はどうか」と打診を受けました。
調べるとテキサス州。
砂漠の中にサボテンが立っているイメージしかありません。
ところが、実際に行ってみると、砂漠どころか森の中にあるような町でした。

ヒューストンの駐在員は私一人でしたが、北米のほかの地域の駐在員とは普段から連絡を取り合い、助け合っていました。
赴任前は面識のなかった駐在員仲間と仲良くなったことが帰国後も財産となり、パートナーになってもそれぞれ違う立場から協力しあう関係になりました。

駐在員としての業務内容はEpisode2に譲りますが、それまでの監査シニアスタッフとしての仕事とはまったく異なります。
赴任直後は自分が役に立たないことを痛感することばかりで、激しく自信喪失する日々でした。

ところが半年経つと、クライアントからの質問や発生するトラブルが二度目、三度目のことが増えてきます。
丸一年になるころには、何が来てもほぼ対応できるまでになりました。
三年も経つと、ヒューストン駐在員社会の重鎮は帰国されて新しい方々に変わり、気が付いたら駐在員社会で古株として見られ、仕事以外でも頼られることが多くなります。
四年目にはさらに余裕で回せるようになり、旅行や帰国準備に注力していました。

次回のEpisode1では、会計士のメインの仕事となる監査の中身について、ご紹介します。

つづく

執筆者紹介≫
てりたま


大手監査法人で33年間監査業務に従事、うち17年はパートナーとしてグローバル企業の監査責任者を歴任。2022年11月より個人開業し、noteやTwitterなどで会計士や経理の方々に向けた発信を中心に活動している。
Note:https://note.com/teritamadozo
Twitter:@teritamadozo


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