【会計士合格体験記】“三振リーチ”と“体調不良”を乗り越えて合格


ケムリ3号

【受験情報】
受験期間:短答6回・論文3回(2025年合格)
▶サムネイルは息抜きや論証暗記でよく訪れていた伊勢丹の屋上(本人提供)

最初は短期合格できると舐めていた?

受験勉強を始めた当初は、短期合格も夢じゃないと思っていました。
受験勉強自体は決して嫌いではなく、そもそも専攻が理系ということもあり、数字にも強いと思い込んでいたからです。
まさかここまで時間を費やすことになるとは想像していませんでした。

病が甘い考えを質す転機に

短答4回目の直前に神経疾患を発症し、思うように勉強できない時期が続きました。
身体がいうことをきかず、集中して勉強できる時間が限られ、焦りだけが募っていく日々。そんな状況がしばらく続き、5回目の短答を迎えることになりました。
その時の財務会計論の試験で開始後30分に体調が急激に悪化し、脂汗をかきながら何も解けず、ただただ時間だけが過ぎていきました。見兼ねた試験官の方から別室受験を勧められるほどでした。その後、どうにか答案を書ける状態に戻ったので、辛うじて仕上げた結果、152点。合格には届きませんでしたが、この結果が自信になり、この後の合格まで自分を支えてくれたように感じます。

それでも試練は続く…

短答を6回目でようやくクリアし、論文生になった後も試練は続きました。
初回はいわゆる「5-8」ゆえに準備不足。
2回目は特に企業法・監査論について手応えがあり、合格したと思っていました。しかし、結果はこの2科目について科目合格できたものの0.5点届かず不合格。明確な根拠のない自信が邪魔をして、 “いつか届くだろう”と思っていた合格は程遠く、改めて自分の甘さと実力不足を真正面から突きつけられました。

三振リーチの論文本試験

3回目の論文は、“何が何でも合格する”ために、やれることはなんでもやる覚悟を決め、その1つの策として、体調不良の日でも、あえて答練を受けていました(体調不良といっても風邪ではなく、自律神経の乱れなので、周囲の方々に迷惑をかける心配ありませんでした)。
これが功を奏したかは神のみぞ知るでしょうか。
そして、いわゆる“三振リーチ”で迎えた絶体絶命の本試験当日、割り当てられた席は、まさかのエアコン直撃。周囲が暑い暑いと騒ぐ中、長袖2枚に膝掛けという防寒態勢で万全を期したものの、やはりと言うか、2日目の会計学で体調崩壊。自律神経は乱れ、目が回りながらなんとか解答するも、無惨にも空欄が目立っていました。
試験終了後は、「終わったな・・・」と静かに思いました。

奇跡の合格

合格発表で自分の番号を見つけた時は、本当に目を疑いました。
空欄はあったものの、解けた部分が予想以上に得点になっていて、不思議なほどに余裕を持っての合格。
「あの日あの状態で、この点数を取れたのか」という信じられない思いで頭は一杯でした。
合格発表時のパソコン画面を見たままかなりの時間を費やし、ようやく、長い年月で積み上げてきたものが、あるいは体調不良時の答練敢行が・・・、いやきっと、やってきたすべてがあったからだと、静かに納得しました。人間万事塞翁が馬が如くです。

自分は恵まれない環境だったのか?

以上のように、私の受験期間は苦難の連続でした。
とはいえ、多くの受験生の皆さんが立ち向かっているさまざまな苦難と比べれば、私の苦難はまだまだかもしれません。

ただ、病と向き合い病を受け入れ、付き合っていくことで、試験の合否とは別に生きていくうえで欠かせない芯の強さみたいなものを得たように感じます。恥ずかしいですが、本当に泣きながら勉強していた自分に、自信を持って、“かっこよかったじゃん!”と言ってやりたいと思います。
現在、不安や焦りに苦しんでいる受験生がいたら、私はこう伝えたいです。

「泣いてでも向き合っているあなたは、もう十分に強い。」
「積み上げた努力は、必ず糧になる。」

この結果の陰には…

最後に、自分を陰で支えてくれた人たちが必ずいました。
落ち込んだときに支えてくれた友人。
何度も何度も丁寧に教えてくれた講師の方々。
体調が不安定な中でも自分を信じて見守ってくれた両親・・・。
多くの方々が親身になって支えてくれたからこそ、途中で心が折れずにここまで来られました。
心から感謝しています。


関連記事

ページ上部へ戻る