【連載・第10回】伝わる!ピッチデックの作成ガイド~トラクションとKPI


大野修平(公認会計士・税理士)

【編集部より】
ますます注目が増すスタートアップ企業。資金調達、マーケティング、人材採用など、ビジネスモデルを説明するさまざまな場面で、「伝わるピッチデックを作れるかどうか」がカギとなります。とはいえ、そもそもピッチデックとは何か? 事業計画書とはどう違うのか? ぼんやりしたイメージのままでは、よい資料には仕上がりません。
そこで本連載では、公認会計士として多くのスタートアップ企業をサポートし、ピッチデックの作り方についてもセミナーを行う大野修平先生(公認会計士・税理士)にその作成ノウハウを教えて頂きます。

<本連載バックナンバー>
第1回:「そもそもピッチデックとは?
第2回:「オーバービューの主要な構成要素
第3回:「環境セクション
第4回:「ペインとターゲット
第5回:「解決策と提供価値
第6回:「市場規模
第7回:「競合との優位性
第8回:「収益モデル
第9回:「チャネルとプロモーション

はじめに

スタートアップが次の資金調達ラウンドを成功させるうえで、「ビジョンの魅力」と並んで不可欠になるのが、事業の実績と将来性を裏づける数字です。
投資家はプロダクトのコンセプトに共感しても、「本当に伸びるのか」「資本を投入した先にどの程度のリターンが見込めるのか」を定量的に知りたいと思っています。

そこで登場するのがトラクション(Traction)とKPI(KeyPerformanceIndicator)です。

本稿では、ピッチデックの「トラクション&KPI」セクションを投資家に響く形で構築するためのポイントを解説します。

読み進めながら自社の数値を照らし合わせ、ピッチ資料に即適用いただければ幸いです

トラクションとKPI――用語を正しく理解する

まずはそれぞれの用語を正しく理解しておきましょう。

トラクションとは

  • 定義:製品やサービスが市場でどの程度受け入れられ、実績を積み重ねているかを示す客観的事実。
  • 具体例:ユーザー数・売上高・提携数・契約更新率・注文件数・アプリダウンロード数など。
  • 意義:過去から現在に至る実績を示すことで、投資家に「既に実需が存在する」ことを証明できる。

KPIとは

  • 定義:事業の健全性や拡張性を測定し、経営判断の指針とする定量指標。
  • 具体例:顧客獲得コスト(CAC)、顧客生涯価値(LTV)、チャーン率、ユニットエコノミクス、利益率など。
  • 意義:(現在と)将来のポテンシャルや目標数値を可視化する。

両者を並べる理由

トラクションは非常に説得力がありますが、偶発的ヒットも含まれます。一方で、KPIのみでは机上の理論に映りやすく、リアリティが乏しくなります。

そこで、実績(トラクション)+理論(KPI)をセットで提示することで、数字に説得力と再現性をもたせることが可能になります。

トラクションで語るべき五つの観点

トラクションを示す際は、以下のような指標と観点が役立つでしょう。

売上成長の推移

月次売上(MoM)、年間売上(YoY)、あるいはサブスクリプション型であればMRR・ARRを折れ線グラフで示します。右肩上がりの視覚効果は言葉以上に訴求力があります。横軸に年月、縦軸に売上高を取り掲載すると成長速度がクリアになります。

顧客獲得の状況

新規顧客数の月次推移と、流入チャネル別シェアを提示するのも効果的です。リファラル、広告、SEO、チャネルパートナーなどを色分けした積み上げグラフがわかりやすいです。CACに競争力があるのであれば、チャネルごとのCACを添えると、マーケティング効率をアピールすることも可能です。

継続利用・リテンション

ユーザー数ベースでも金額(MRR)ベースでもよいので、コホート分析グラフを用いて「何%の利用者が何か月後に残っているか」を示すと、サービスへのエンゲージメントを立証できます。投資家は初速より粘りを重視する傾向が強いため、リテンションは必ず盛り込みたい指標です。

市場浸透度・シェア

ニッチセグメントであっても、対象市場規模に対する自社シェアを数値化しましょう。たとえば「国内STEM教育アプリでアクティブユーザー数シェア28%」など、割合で示すことで成長余地を逆説的に示せます。

獲得したパートナー・ネットワーク

プラットフォーム型ビジネスの場合、提携企業数やAPI連携数も重要なトラクションです。オンデマンドで食事や日用品などの即時配達サービスを提供するPostmatesという米国のスタートアップは初期のピッチデックに「宅配業者20社と契約済み、80社と交渉中」と示すことで、ネットワーク効果の立ち上がりを上手く伝え、資金調達に成功しています。

KPIで示す七つの核となる数値

KPIを伝える時、投資家が知りたいのは以下のような指標です。

CAC(CustomerAcquisitionCost)

  • 計算式:セールス費用とマーケティング費用の合計÷新規顧客数。
  • 留意点:広告費だけでなく営業人件費、カンファレンス出展費、代理店手数料なども含める。費用の網羅性が甘いとデューデリジェンスで信頼を損ねます。

3.2LTV(LifetimeValue)

  • 計算式:ARPU(1人あたり購入単価)×平均顧客存続月数。
  • 顧客存続月数は「1÷月次チャーン率」で近似可能です。
  • 目安:BtoBSaaSでLTV/CAC≧3をクリアすれば健全と評価されます。

チャーン率

  • 定義:月初在籍ユーザーのうち当月に離脱したユーザーの割合。
  • 水準目安:BtoBSaaSで3%未満、BtoCサブスクで5%未満が望ましいとされます。
  • 離脱理由を定性分析し、改善施策を併記すると説得力が増します。

ユニットエコノミクス

  • 計算式:ARPU−(売上原価+セールス関連変動費)
  • 活用:プラスであれば広告投資を加速しても利益が積み上がる構造。マイナスならチャーン改善または価格改定が急務です。
    サブスク型の場合は、「ユニットエコノミクス=LTV-CAC」もよく用いられる。
  • 実例:ARPU6万円、変動費2.6万円→ユニットエコノミクス3.4万円。CPA(顧客獲得単価)を3万円に設定しても黒字を維持できます。

粗利益率

  • 目安:SaaSで70%超が優秀、80%超でトップクラス。
  • 原価にサーバー費用、サードパーティAPI料、決済手数料などを含め、計算ロジックを脚注もしくはAppendixで明示することで、資料の正確性をアピールすることが可能です。

マジックナンバー

  • 計算式:(現在の四半期の収益-前四半期の収益)✕4÷前四半期の販売およびマーケティング費用
  • 判断基準:値が1を超えると「投下した営業・マーケティング費用が1年以内に同額以上の年間収益(ARR)増加をもたらしている」と評価できます。

バーンレート(BurnRate)とランウェイ

  • 定義:月次のキャッシュ消費額(バーンレート)と、手元資金残高から逆算した資金枯渇までの期間(ランウェイ)。
  • 投資家の視点:バーンレートとランウェイを把握していることは、投資家に安心感を与えるだけでなく、必要な調達額を裏付けとなります。

ユニットエコノミクスについての深掘りと活用法

ユニットエコノミクス「ARPU−(売上原価+セールス関連変動費)」は「顧客1人を獲得した時点でどれだけ利益(または損失)が発生するか」を示す指標です。以下の三つの観点で語ると投資家理解が一段と深まります。

  1. 構造分析
    変動費の内訳(売上原価、人件費、広告費、販売手数料など)を列挙し、主要項目の増減がユニットエコノミクスへ与える影響を定量的に説明します。
  2. 感度分析
    CPAを10%上げた場合、あるいはARPUを500円引き上げた場合など、キーファクターが1単位変化したときの損益インパクトを図示すると、優先度が明確になります。
  3. スケール時の挙動
    10倍のユーザー数に増加した際、変動費の比率はどう変わるか、固定費はどの時点で増分固定費に転換するかをロードマップと併せて提示します。

ピッチデックの本編で語ると煩雑になってしまう場合にはAppendixなどに回して、投資家から質問されたときに資料を示せると、信頼性がアップします。

LTV/CAC理論と実務的落とし穴

理論的根拠

LTV/CACを分解すると、

  • 分子がARPU×平均顧客存続月数
  • 分母がCACです。

CACを回収するまでの期間をCACPaybakPeriod(CACPP)と呼びます(つまりCACPP= CAC/ARPU)。
数式上、「LTV/CAC=平均顧客存続月数÷CACPP」となるため、CACPPが12か月、平均存続月数が36か月ならLTV/CACは3になります。これは「投資したCACを1年で回収し、その後2年分は純利益を生む」というシナリオを示しており、極めて直感的な健全性基準と言えます。

実務的な注意点

ARPUの算定期間:月次なのか年次なのかを曖昧にすると、LTVが過大評価される恐れがあります。

チャーン率の定義:契約更新日に離脱したユーザーのみカウントする方式か、途中離脱も含めるかで結果が大きく変動します。ピッチデックでは必ず定義を脚注で示してください。

顧客セグメントの分割:エンタープライズとSMEで契約金額もチャーン率も異なる場合、セグメント別LTV/CACを提示するほうが信頼度が高まります。

イレギュラー要素の排除:大型ワンタイム課金や一時的なキャンペーン割引が混入したデータは、平常時の傾向が見えづらくなるため除外するか別枠で説明し他方が良いでしょう。

コスト構造戦略――固定費型と変動費型の使い分け

どのような事業をするかによって、適したコスト構造も変わってきます。

固定費型の特徴と適用場面

  • 初期投資が大きく、損益分岐点まで赤字が続くが、分岐点突破後は高い利益率が期待できる。
  • 自社でインフラや物流網を保有し、品質コントロールやスピードを武器にする事業(たとえば独自データセンターを持つPaaS企業、ロボット倉庫を運営するEC企業など)に適しています。

変動費型の特徴と適用場面

  • 売上に比例して費用が増減するため、赤字幅が限定的でリスクが低い。
  • 需要変動が大きい市場や不確実性の高い初期フェーズで有効。たとえばUberのドライバー報酬、Airbnbのホスト手数料などプラットフォーム外部リソース依存型サービスに採用されています。

フェーズに応じたハイブリッド戦略

これらのコスト構造の違いをフェーズに応じて使い分けることも経営の安定性を高めます。

  • シード期:アウトソースでMVPを迅速に検証し、変動費型で柔軟性を確保。
  • グロース期:需要が読めた段階で内製化比率を高め、粗利益率を押し上げる。
  • 成熟期:固定費型投資(専用設備・独自技術)に踏み込み、競合参入障壁を築く。

費用構造が時間とともにどう変化するかをピッチデックで描くと、長期戦略の説得力が格段に向上します。

グラフとストーリーテリング――数字を語る五つのテクニック

実際にピッチデックを作成する際には、以下のような点に気を配り、投資家にとって見やすいものに仕上げる必要があります。

  1. ワンメッセージ・ワングラフ
    1枚の図表で伝えるメッセージは1つに絞ります。売上とユーザー数を同時に載せると焦点がぼやけます。
  2. 時系列は左から右へ
    時系列を表すグラフは必ず左から右に時間が流れるようにしましょう。これにより読み手の負荷が減るとともに、想定外の誤解を防ぐことができます。
  3. 基準線で合格ラインを可視化
    チャーン3%未満、LTV/CAC3倍以上など、業界ベンチマークを点線で入れると自己評価が一目で伝わります。
  4. ストーリー順序は課題→解決→結果
    例)「チャーンが高かった→オンボーディングを刷新→次四半期で5%改善」。トラクションをストーリー化することで、単なる数字がドラマとして表現され、投資家の理解と興味を高めることができます。

指標改善ロードマップの描き方

Appandixに指標の改善ロードマップを加えることも有効です。例えば以下のように策定します。

  1. 現状診断
    主要KPIを現在値と6~12か月前の値で比較し、改善が停滞している箇所を特定します。
  2. 重点目標の設定
    たとえば「チャーン3%→1.8%」「LTV/CAC2.4→3.2」「粗利益率68%→74%」など、最重要KPIを3つ以内に絞ります。
  3. 施策の優先順位付け
    施策ごとに「インパクト」「実行難易度」「リードタイム」を評価し、優先度の高い順にロードマップへ配置します。
  4. モニタリング計画
    KPIダッシュボードを週次・月次で更新し、想定通りかをトラッキングします。定性的な学習(ユーザーインタビュー、NPS調査(顧客のロイヤルティ(忠誠度)や推奨意向を測るアンケートなど))も並行すると、数字が動く背景を掴みやすくなります。
  5. 結果と学びの共有
    無事投資を受けた際には、投資家との月次レポートには成功/失敗ともに記載し、学びを次施策に反映するサイクルを示しましょう。透明性を確保することで長期的な信頼関係が構築し、追加でのファイナンスや新たな投資家の紹介へとつなげていきます。

よくある質問と陥りがちな誤

Q1:トラクションがまだ弱い場合、KPIだけで説得できるか?
A:完全に説得するのは難しいですが、PoC(実証実験)の成果やパイロットユーザーからのフィードバックをマイルストーンとして強調し、KPI改善計画を具体的に示すことで一定の評価を得られます。

Q2:チャーン率が高止まりしているが、どう説明すればよいか?
A:例えばコホート別リテンションを開示し、「旧バージョンからの移行漏れユーザーが主因であり、新UI移行後のコホートではX%に改善している」などと分解説明できると前向きに受け取られます。

Q3:LTVがセグメント間で大きく異なり、平均値では見映えが悪い。
A:セグメント別LTVと全社平均を併記し、高LTVセグメントにマーケ費を集中させる戦略を提示するとポジティブな印象に転じます。

おわりに

トラクションとKPIは、スタートアップの現在地と目標を示すものです。投資家にとってもスタートアップを理解する重要な要素です。

本稿で得た知見を踏まえ、

  1. 実績を誇張せず
  2. 指標の定義を厳格に
  3. 改善ストーリーを鮮明にして
    描いたピッチデックを準備しましょう。

皆さまの挑戦が数字の裏づけによって加速することを心より願っております。

<執筆者紹介>
大野修平(おおの・しゅうへい)

公認会計士・税理士
セブンセンス税理士法人 ディレクター 大学卒業後、有限責任監査法人トーマツへ入所。金融インダストリーグループにて、主に銀行、証券、保険会社の監査に従事。
トーマツ退所後は、資金調達支援、資本政策策定支援、補助金申請支援などで多数の支援経験を持つ。
また、スタートアップ企業の育成・支援にも力をいれており、各種アクセラレーションプログラムでのメンタリングや講義、ピッチイベントでの審査員および協賛などにも精力的に関わっている。
さらに、セブンセンス税理士法人が運営する『セブンセンスビズマガジン(https://consulting.seventh-sense.co.jp)』では、ビジネスに関する様々な情報を発信し、中小企業やスタートアップのお悩み解決にも力を入れている。


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