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金 誠智(公認会計士)
はじめに
皆さん、こんにちは。
アイスリー株式会社 代表取締役社長/公認会計士の金 誠智(キム ソンジ)です。今回は、
IPO分野で実際に活躍していくうえで欠かせないスキルや経験について、私の体験も交えながら紹介します。
会計や内部統制の知識
IPO準備会社にとって重要なのは、まず会計や内部統制に関する知識です。
一般的には、監査法人によるショートレビューからIPO準備が始まり、その後、期首残高監査(初年度の貸借対照表を中心とした監査)を経て「N-2期(上場申請期からさかのぼって2年前)」に入る流れが主流です。
そのため、財務会計の基準に則った期首残高を固めるための会計知識が欠かせません。
具体的には、以下のような項目への対応が代表例です。
• 引当金の計上
• 棚卸資産の評価
• 固定資産の減損処理
• 資産除去債務の計上
• リース取引に関する会計処理
• 税効果会計の適用
• 連結決算の仕組みづくり
私が転職して入社したのが期初初日だったこともあり、最初に取り組んだのがこの期首残高を財務会計基準に変更することでした。
同時に、決算監査は貸借対照表や損益計算書という「決算書」だけでなく、「どういう業務フローに基づいて会計処理しているか」といった「取引プロセス」も監査の対象となります。
監査手続きの特性上、期中に数多く行われる取引をすべて監査することはできません。
定型的な取引であれば同じような処理がされるという業務フローに依拠するために監査します。
会社側としても「どのように監査されるのか」「監査で指摘を受けないための業務フローとは何か」を理解する必要があります。
さらに内部統制の面では、J-SOXほど厳密でなくとも、自社の業務を理解してフローチャート化する能力が求められます。
「どの部署が・どの書類を・どの手続きで承認し・どのように決算書に反映されるか」を事業部門にヒアリングしながら整理するスキルが必要です。
私自身が入社初期に取り組んだのが、業務フローチャートの作成でした。
これにより、後に入社する経理人材への説明や外部ステークホルダーへの説明ができ、IPO準備の初期段階で大いに役立ちました。
“ノックアウトファクター”を意識した基礎知識
IPO業界では「ノックアウトファクター(Knock Out Factor)」という言葉があります。
公式な定義ではないものの、「未解決だとIPO審査がストップしてしまう重大な事象」を指します。
通説によると、次の4点です。
①未払い残業代の存在
②重要な関連当事者取引の未解消
③反社会的勢力との取引防止体制の未整備
④個人情報漏洩防止体制の未整備
これらを事前に防ぐために、以下のような基礎知識や対応が必要になります。
労務に関する基礎知識
「未払い残業代の存在」を防ぐには、勤怠管理や就業規則の整備が不可欠です。
「未払い残業代の存在」は、想起しやすいのは時間外に勤務を行っているにもかかわらず、「打刻をしておらず把握できていない」または「打刻しているが時間外労働の対価を支払っていない」という内容だと思います。
しかし、「未払い残業代の存在」は上述の様な想起しやすい内容にとどまりません。
「管理監督者の要件」「変形労働時間制」「残業代の算定基礎となる手当を含んだ基本給の算定方法」など、労働基準法の複雑な知識が求められます。
専門的な内容は社会保険労務士のサポートを求めることも多いです。
ただ、社内担当者にも最低限の知識がないと、過度に厳密すぎる勤怠管理や就業規則となる可能性もあるため、基礎知識を有している必要があります。
ガバナンスに関する基礎知識
「重要な関連当事者取引の未解消」とは、大株主や取締役などが自己の利益のために会社を利用していると疑われる取引が残っている状態を指します。
IPOを目指す会社は、取締役会設置会社になる必要があります。
公私混同した関連当事者取引をはじめとした「少数株主が不平等に取り扱われることがない」ように、適切に監視・解消する仕組みが求められます。
そして、その仕組みが形骸化されず、実効性のある状態で継続して運営する必要があります。
ここで、「実効性のある取締役会とは何か」「関連当事者取引とは何か」といった基本的な知識を持っていなければ、問題を見逃してしまう可能性があります。
法務・コンプライアンスに関する基礎知識
「反社会的勢力との取引防止体制の未整備」や「個人情報漏洩防止体制の未整備」は、上場企業としての社会的責任の観点から厳しくチェックされます。
証券取引市場は、株式資本市場の健全性と信頼性を維持することやマネー・ロンダリングを防止するために反社会的勢力や反市場的勢力と上場会社が取引することを防止する体制を築くことを義務付けています。
また、個人情報の漏洩が起こると、被害件数が数百万件と膨大になるリスクがあり、信頼失墜にもつながります。
そして、個人情報という重要情報を漏洩してしまう情報管理体制は、インサイダー情報も漏洩してしまう情報管理体制ではないかと類推される可能性があります。
こうした法務・コンプライアンス面の基本を理解しつつ、社会的にどのような事件・事故の事例が問題になっているかアンテナを張る意識が大切です。
まとめ:幅広い専門領域に対し、基礎知識を備えて判断できる状態が重要
IPO分野で活躍するためには、ノックアウトファクター対策以外にも「株式・資本政策」「IRやマーケットの知識(投資家目線のストーリー作り)」といったハードスキルや、「課題解決の志向性」「プロジェクトマネジメント能力」といったソフトスキルなど、実に多様なスキルセットが求められます。
すべてに精通するのは難しく、今の私にもできていません。
そのため、各分野の専門家のサポートを受けることになりますが、専門家に任せきりではなく、自社にとって最適な選択肢を見極めるための基礎知識が、会社側に不可欠です。
専門家の言いなりになってしまうと、過度に報酬が高額になったり、必要以上に厳しいルールを導入してしまったりという状況になる可能性があります。
要所要所で社内担当者が判断できる知識を備えることが望ましいです。
次回(第4回)では、私自身が感じている「IPO分野で活躍する醍醐味・やりがい」について、さらに詳しくお話しします。上場後に広がる世界や企業成長を支える面白さを、リアルな体験談を交えてお伝えしますので、引き続きご覧いただければ幸いです。
<プロフィール>
金 誠智(キム・ソンジ)
アイスリー株式会社 代表取締役社長
2009年有限責任監査法人トーマツ 長野事務所に入所し会計監査業務に従事。2012年トーマツベンチャーサポート株式会社 長野リーダーを兼務しベンチャー支援に携わる
2014年株式会社リプライス 経営企画室長に転職し、IPO準備を開始、2016年リプライスの株式100%を株式会社カチタスに譲渡し、経営統合。M&A後のPMI業務を担当。2017年カチタス IPO準備室長 兼 内部監査室長として、グループのIPO準備を統括。
2017年カチタスの株式34%をニトリHDに譲渡する際のDDの対応もIPO準備と並行して担当、2017年カチタス東証一部上場。グローバルオファリングとして海外投資家にも募集する形で上場。2018年カチタス 経営企画室長 兼 内部監査室長として、主に、国内・海外の機関投資家向けのIRを担当、同時にリプライス 管理部長 兼 経営企画室長として、経営メンバーとして予算策定と管理部門を管掌。
2020年アイスリー株式会社設立、代表取締役社長就任。IPO・IRのコンサルタントとして従事しつつ、IPO準備支援ツール「はじめのIPO」を開発。
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