【編集部より】
話題になっている経済ニュースに関連する論点が、税理士試験・公認会計士試験などの国家試験で出題されることもあります。でも、受験勉強では会計の視点から経済ニュースを読み解く機会はなかなかありませんよね。
そこで、本企画では、新聞やテレビ等で取り上げられている最近の「経済ニュース」を、大学で教鞭を執る新進気鋭の学者に会計・財務の面から2回にわたり解説していただきます(執筆者はリレー形式・不定期連載)。会計が役立つことに改めて気づいたり、新しい発見があるかもしれません♪ ぜひ、肩の力を抜いて読んでください!
調 勇二(東洋大学経営学部准教授)
前回のコラムではMBO(management buyouts)実施の背後にはどのような要因やメカニズムがあるのかを説明しました。今回はそこから一歩進んで、MBOの実施がどのような変化をもたらすのかを見ていきましょう。
MBOはMBO実施企業の内部者である経営陣が自社株式の買い手になるという点で、第三者が株式の買い手となるM&A(mergers & acquisitions)などの他の株式買付と大きく異なります。経営陣は社内の情報に直接アクセスできるうえ、MBOを見越して意思決定を変化させる可能性もあります。
自社株式の買い手である経営陣と売り手である一般株主との間には利害対立が生じるため、経営陣がどのような行動を取りうるのか株主はよく理解しておく必要があります。
MBOの異質性:経営陣と一般株主の利害対立はなぜ起こる?
MBOにおける経営陣(買い手)と一般株主(売り手)の利害対立について理解するために、身近な例を考えてみましょう。
利害対立のケースを考える
ある日、あなたは遠方にあるマンションの1室を親族から譲り受けることになりました。その部屋に当面住む予定はなく、自身で管理するのも難しいため、不動産管理会社に管理を任せてその部屋を賃貸に出すことにしました。
数年後、自身の住宅購入のために現金が必要になり、その部屋を売却することになったとします。このとき、長年その部屋の管理を任せていた管理会社に売却するか、第三者に売却するかを考えてみましょう。
管理会社へ売却するケース
管理会社に売却する場合、管理会社は、その部屋の状態や将来性について、所有者である自分よりも詳しい情報を持っており、その情報を隠している可能性があります。くわえて、管理会社は、部屋のメンテナンスをあえて怠ったり、問題点を誇張したりする可能性があります。
そうすることによって、買い手である管理会社はその部屋を自分から安く購入できるかもしれないからです。
第三者へ売却するケース
第三者に売却する場合、所有者である自分は、少なくとも買い手である第三者よりはその部屋の状態について詳しく知っています。管理会社から部屋の状態を詳しく教えてもらえるかもしれません。当然、売却前に第三者がその部屋に何らかの変更を加えることもできません。
さらに、複数の買い手から提案を受けることで競争原理が働き、適正な価格で売却できる可能性が高くなります。
この例からわかるように、自分が所有する資産を、その資産の管理を委託している管理者に対して売却する際には、第三者に対して売却する場合とは異なる問題が生じる可能性に注意する必要があります。
経営者は利益を少なく見せかけている?
MBO実施前の経営陣の行動としてよく研究されている事象の1つに、earnings management(以下、「利益調整」)という行動があります。これは企業が何らかの意図を持って利益を調整・操作する行動を指します。
この利益調整は、会計基準やその他の関連する法令に違反しない、経営陣に認められた裁量の範囲内で行われる裁量的な行動を指しています。つまり、不正会計や不適切会計、粉飾決算などと呼ばれるものとは異なるということです。
典型的な行動として、赤字回避や前期利益やアナリスト予想、経営者予想といったベンチマークを上回る利益を達成するため、会計基準に反しない範囲で会計方針を変更することで利益を増加させることが考えられます。また、研究開発や広告宣伝といった実際の経済活動を変更することで利益を調整することも考えられます。
経営陣はより低い買付価格で株式を購入することができれば、より少額の資金でMBOを成功させることができます。そのために、MBOの実施前に利益を減少させるような利益調整を行うことで、株価を割安な水準に誘導しようとするかもしれません。米国や英国、日本のMBOを対象とした研究では概ね、MBO前の利益減少型の利益調整を支持する結果が報告されています。
もちろん、すべてのMBO実施企業においてこのような利益調整が行われているわけではないでしょう。ですが、MBOの買付価格の妥当性を判断する際に、経営陣がこのような行動を取るインセンティブを有していることを考慮して、MBO実施企業の業績をより慎重に吟味することは欠かせないと私は考えています。
経営陣は自社株を割安な価格で手に入れている?
それではここで、MBO公表企業の株価がどのように推移しているのかを見てみましょう。
図1はMBO公表前後の株価の推移を示しています。具体的には、2023年中にMBO実施を公表した国内上場企業について、MBO公表日(0日)を挟んで公表前740営業日(-740日、約3年間に相当)から公表後20日(+20日)の期間において、公表当日の株価が100となるような指数を作成します。そのうえで各企業の指数を単純平均した値を折れ線グラフで示しています。
この図からは、MBO公表企業の株価はMBO公表前の約3年間、下落し続けていることがわかります。2021年から2023年にかけての東証株価指数の騰落率が+10.4%(2021年)、-5.1%(2022年)、+25.1%(2023年)であることを踏まえると、株式市場が好調であるにもかかわらず、MBO公表企業の株価は平均的には低迷していたといえるでしょう。0日を境にグラフが大きく跳ね上がっているのは、公表前の株価に一定の買付プレミアムが上乗せされた買付価格に近い水準まで株価が上昇する傾向を表しています。
この図からは、なぜMBO公表前の長期間にわたって株価が下落しているのかはわかりません。ですが、MBO公表企業の株価はかなり前から継続して下落しており、MBO公表後の株価は約3年前の株価と近い水準にあることがわかります。
これは、株式の買い手である経営陣にとってみれば、買付プレミアムを上乗せした買付価格で自社株を買っても長期的に見れば割高とはいえないことがわかります。
反対に、長期的に保有している株主にとっては、MBOにおいて支払われる買付プレミアムを考慮しても、長期保有に見合った見返りをMBOから得ることは難しいといえそうです。
割安な株価は経営陣にとっていいことずくめ?
ただ、割安な株価はMBOを実施する経営陣にとっていいことばかりではありません。株価の下落によって経営陣が相対的に低価格で自社株を買えるということは、誰でもその企業の株式を安く手に入れられることを意味しています。
そのため、MBOの実施前に買収されるリスクや、MBOに対抗して第三者から株式公開買付(以下、「TOB」)を仕掛けられるリスクが高まります。
2024年2月9日に買付価格5,035円でMBOの実施を公表した株式会社ローランド ディー.ジー.株式会社(以下、「ローランドDG」)に対して、ブラザー工業株式会社(以下、「ブラザー工業」)はローランドDGの取締役会の同意を得ずに、一定の前提条件のもと買付価格5,200円でTOBを実施する予定であることを3月13日に発表しました(ブラザー工業適時開示資料)。本コラム執筆時点(2024年3月22日)での同社の終値は5,500円といずれの買付価格も上回っており、同社経営陣によるMBOとブラザー工業によるTOBのいずれも不成立となる可能性があります。
この例からは、経営陣が望んだ価格で自社株を買い付けてMBOを必ず成立させられるわけではないことがわかります。その他にも、MBO公表後に株価が上昇して買付価格を上回りMBOが不成立になった事例や、買付価格が引き上げられた事例が存在しています(日本経済新聞①:「サカイオーベックス、MBO不成立」、日本経済新聞②:「サカイオーベックス、MBO再び実施 経営改革急ぐ」、日本経済新聞③:「片倉工業、MBO不成立で上場維持 応募数届かず」)。
MBOによって業績は向上するのか?
最後に、実際にMBOが行われた後に目を向けましょう。
会社経営陣やPEファンドがMBOを実施する理由としてよく挙げるものとして、「MBOによって構造改革を推進するため」というものがあります。その他にも「MBOによって非上場化して中長期的な視点に立って経営を行うため」という理由も見かけることがあります。
ここではその理由の是非については触れませんが、いずれにしても、経営陣が今までとは異なる経営をするための手段としてMBOを実施することが読み取れます。そのようにして実施されたMBOによって、企業の業績や資本構成はどのように変化するのでしょうか。
意外に思われるかもしれませんが、MBO後に業績や資本構成がどのように変化するかについては、分析対象となる国・地域や期間によって異なる結果が得られており、MBO後に業績が向上あるいは悪化すると一概には言えません。
一例を挙げると、1980年代の米国あるいは英国を対象とした初期の研究では、MBO後に収益性などの観点で企業の業績が向上することが報告されていました。しかし、その後の研究では、MBO後に負債比率が上昇する一方、必ずしも業績が向上するとはいえないことが明らかにされています。
また、国内のMBOについては、そもそもMBOの件数が多くないこと、MBO後の財務情報が多くの場合利用可能でないことなどの理由から、MBO後に業績や資本構成がどのように変化するかはまだ十分に検証されていません。
このように、多額の資金を投じて実施されるMBOが、業績の向上に役立っているかどうかはあまりわかっていない、というのが現状です。
おわりに
このコラムでは2回にわたってMBOを取り上げ、MBOの背後にあるメカニズムやMBOの実施がどのような影響をもたらすのかを見てきました。
このコラムを読んでくれた人の中には、将来、会計士や税理士としてMBOの実務に関わる人もいるでしょう。その際に、MBOの理論的な背景を理解するとともに、アカデミックな分析から得られる知見を整理しておくことは実務にも役立つかもしれません。
このコラムを通じて少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。
<執筆者紹介>
調 勇二(しらべ・ゆうじ)
2018年3月に一橋大学大学院商学研究科博士後期課程を修了し、博士(商学)を取得。2018年4月に東洋大学経営学部に講師として着任、2022年4月から東洋大学経営学部准教授。
専門は財務会計とコーポレート・ファイナンス。
<前編はコチラ>