藤井太郎
【前回まで】
第1話「所得税と筑前煮」
第2話「サンシャイン」
第3話「歌って踊れる税理士をめざして」
第4話「Dear Miss Lulu」
第5話「8年前の合格体験記」
第6話「食堂と税理士」
第7話「アテレコせんせい」
第8話「君がおとなになる頃は」
第9話「ちょっとした事件」
第10話「青春のひとコマ」
「総額表示」が生んだクライアントの変化
僕が住む伊勢志摩地域は、鮑や牡蠣、伊勢海老、トロさわらといった高級魚介類の宝庫として有名だ。でも何を隠そう、普段食卓に並ぶ魚だって負けず劣らず新鮮で美味い。鮭やサバ、アジに秋刀魚にメバルなど、魚が苦手だった僕の奥さんも、伊勢で生活を始めるとたちまち好物になってしまったほどだ。それは僕のクライアントでもある鮮魚スーパーの魚を食べていることも大きい。
軒先には野菜やくだものがびしっと並び、大将の奥さんがテキパキと抜け目なく店内を見回る。鮮魚コーナーでは、大将がお客さんの晩御飯の相談に乗っている。品質のよさに関しては、地元住民はもちろん、地域の旅館や飲食店からの信頼も厚い。「コロナなんかに負けやんよ!」とばかり、みんな元気で気さくで親切だ。
その日、いつものように店のバックヤードで帳簿類のチェックを済ませると、たまごの売れ行きの話題になる。「たまごがとんと売れなくてね。この前は、お年寄りがたまごをじーっと見て、結局何も買わずに帰っちゃった。他のお客さんから、値上げした?なんて聞かれたり」……僕はそこでやっとピンとくる。
2021年4月、商品の値札を消費税込の「総額表示」にすることが義務づけられた。それまで条件付で認められていた「税抜表示」の特例が失効したのだ。お店は昔から「税抜表示」を貫いていたので、僕は条件を満たすために「税抜表示」をお客さんにわかりやすく示す貼紙をお願いしていた。そして、今年の年明けからは、国税庁のリーフレットを持参し、これを機に「総額表示」とするよう説明を重ねていた。
お店は僕の説明に応じてくれ、3月31日の営業終了後から、値札を順次「税抜」から「税込」に変更していった。税抜価格を併記しないシンプルな「総額表示」である。それは消費者を困らせないという、義務化の意図を汲んだいさぎよい決断だった。じつにこの店らしい。ところが、「税抜表示」からいきなり「税込表示」に変更したので、お客さんから「値上げ」と勘違いされてしまったのだ。近頃のたまご1パックの値段は190円前後。税込にすると200円を超える。その差は小さいけど大きい。
「税抜」なのか、「税込」なのか
一方、街では「税抜・税込の併記表示」が主流である。もちろん違反ではなく、きちんと認められた方法だ。でも、これじゃあ義務化する前とまったく何も変わらない。なかには「税抜」を赤色で強調したり、あからさまに小さい字で「総額表示」している店もある。コンプライアンスに敏感な大手チェーン店なら、財務省がHPに
『他の表示方法に比べて文字の大きさや色合いなどを変えることにより「税抜価格」をことさら強調し…(中略)…消費者が誤認するようなことがあれば、「不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)」の問題が生ずるおそれもあります。』(総額表示に関する主な質問 : 財務省)
と記載しているのを知らないハズはないのに。
たまごの値段は、お店全体の「安さ」を印象づける大切な商品でもある。いろんな事情があることも理解できる。そもそも「税抜表示」のほうがよいという意見も存在する。ただ僕の率直な感想は「セコい」である。(どうせなら、「たばこ税」や「酒税」も税抜と税込を併記すればいいのに。)
……他所は他所。とにかくショックだったのは、結果としてお店の売上を減少させてしまったことだ。お店にとって死活問題である。僕の指導は間違っていたのだろうか?
消費税はハッキリしない
消費税は、子供も大人もみんなが負担するもっとも「身近な税」だ。でも、たとえばたまご1パックに含まれる消費税が、お店でどんな計算を経て実際に税務署に納付されるのか、その仕組みは一般的には知られていない。払ったはずの税が、じつは売り手の儲けになっていることだって現実にはあるのだ。ピンハネみたいじゃないか。
……免税点制度、仕入税額控除における本則課税と簡易課税、対象外取引と非課税取引と輸出免税、国境を越えた役務提供、課税売上割合、高額特定資産の取得、2023年10月導入のインボイス制度、それらに関する届出や手続き……
我々が事業者に預ける消費税は、腰をすえて勉強しないと訳がわからない複雑な仕組みをくぐり抜け、やっとのことで税務署へと辿り着く。税理士泣かせとも言われていて、手続きミスによって税金を納めすぎたクライアントから訴えられる訴訟の代表格にも挙げられている。2019年10月に10%への増税と同時に導入された軽減税率は、消費税をよけい複雑にしているようにも思える。
僕はかつて「おとなの税金教室」という舞台(第1話「所得税と筑前煮」参照)で消費税を取り上げた。景気に左右されず安定した税収を効率的に確保できるメリットと、低所得者ほど負担率が高くなる逆進性というデメリットを説明するアカデミックな内容だ。タイトルは「ハッキリしてよ消費税」―――きびしい稽古を重ね、かなりバカバカしく仕上がった。
軽減税率は「水道水をペットボトルに詰めて売ったら何%か?」「新聞はいつから食べられるようになったのか?」などと皮肉を込めて問いかける。登場人物の夫婦のうち、関西弁の夫は「財務省のデータ!…まさか…データらめ」……客席の冷ややかな空気に挫けずオヤジギャグを連呼する。せっかちで神経質なキャラの妻は「消費税はハッキリ言ってハッキリしていないということがハッキリしましたわ」とまくし立てる。
これが核心である。消費税は、良くも悪くも複雑にならざるを得ない。つまり「ハッキリしない」のだ。
税理士が、受験生が消費税を学ぶ意味
消費税が導入されて32年。税収は2020年にはじめて所得税を超え、名実ともに国の基幹税となった。その間、世の中のテクノロジーは猛スピードで進歩し、社会のありようは不安なくらい複雑化している。すべての人にとって身近な税であるということは、それだけありとあらゆる複雑な取引や出来事すべてに対応しなければならない。課税もれがなく、なるべく公平な制度をつき詰めるほど、どうしても複雑になってしまうのである。あらゆる社会保障の最大の財源として、より多くの人たちを、税の力で助けるためにも。
だからといって放置していいのか? そんなはずはない。消費税の担い手であるクライアント、家族や友人たち、消費税法を学ぶ機会のない大多数の人々に、わかりやすく説明する必要がある。ときにはおかしいと声を上げる必要もある。誰がその役目を担うのか。決まってる。
消費税法を学ぶということは、実務で必要不可欠なだけじゃない。少しおおげさに言うと「身近な税の案内人」として、すごく重みのあることなのだ。
税理士も、お客さんに育てられる職業である。こつこつと悩みや望みを受け止め、あらゆるサポートをとおして、少しずつ深い信頼が得られる。厳しい言葉をぶつけられたり、自分の指導に迷いが生じるときだってある。
その夜、僕は晩御飯の焼鮭の切り身をほじくりながら「今日はこんなことがあってね」と奥さんに打ち明ける。彼女もひとりの主婦として、まぎらわしい併記にうんざりしている。新聞で見つけた「税込表示が義務化され、買い物がしやすくなると期待したのに何も変わらずがっかりした」という72歳男性の投稿を思い出し、改めて読み返す。
お客さんが求めるのは「ハッキリする」ことだ。かつて舞台でそう主張したはずだ。客だって税込と税抜の併記にダマされてはいけない。
いつもお店で買ってくる絶品の鮭を、骨も皮も跡形もなく味わい尽くす頃には、僕は元気を取り戻している。そして自分が指導した「総額表示」について、次はどんな案内をしようか、前向きな気持ちで机に向かうのである。
第12話(最終話)へつづく
執筆者紹介〉
藤井 太郎(ふじい・たろう)
1977年三重県伊勢市生まれ。亜細亜大学法学部法律学科卒業。2015年藤井太郎税理士事務所開業。夢団株式会社会計参与(http://www.yumedan.jp/)。東海税理士会税務研究所研究員。