◆ 教育で重視しているディベート大会中止の無念
わたしが大学及び大学院の税法教育で力を入れているのは「ディベート」です。
対面方式が必須になるため(ただし,今後,オンラインでどうにかできないかも研究したいと思っています),毎年恒例で主催してきた大学の模擬法廷で実施する,3月末の新ゼミ生(学部生)の新歓ディベート大会,そして6月中旬の院生ディベート大会(学部ゼミも参加)の中止を,いずれも早い段階で決断せざるを得ませんでした。
新歓ディベート大会を中止したときは,6月の院生ディベート大会ができるから学部ゼミ生も仕方ないかと思っていました。しかし,その院生ディベート大会も,4月1日の大学院入学ガイダンスの後,すぐに中止の決断をしました。
そのメールを,関係者に送信する直前になって,一瞬,キーボードを叩く手が止まりました。送信ボタンをクリックしようと上げた右手が止まると,深いため息がでました。思わず両手で,顔を覆ってしまいました。
それは,毎年,教員として全力を投入してきた行事の開催が立て続けにできなくなったこと,それを楽しみにしていたであろう学生に応えられなくなってしまったこと,しかし,現状からは中止せざるを得ないことなどから生じた複雑な想いでした。
会計関係者の皆様へのメッセージなのに,個人的なことばかり綴ってしまいました。でも,この個人的なことのなかに,多くの方は,いまご自身の日常に照らされ,あるいは何かを重ねられるような共通性もあるのではないかと思い,あえて具体的にわたしの書ける日常を,率直に書きました。
そういう意味だとご理解いただければ幸いです。
◆ 正解のない未知の世界だからこそ平時と同じに
マスコミは,渋谷のスクランブル交差点を映して,今日は人が多いだの,人が減っただのと,連日のように伝えていますが,わたしのまわりの学生の多くは,外に出ることを控え,マスクもして,適切な対応をしているのを,春休みの早い時期からみてきました。
対応について政権を批判する声や,どこかの知事の対応が素晴らしいと褒めたたえる声,だれでも思いつきそうなことをツイートして絶賛されるオピニオンリーダーと呼ばれる専門家ではない方の発言など,当初はスマホでみながらも,何だかなぁと思っていたのです。
なぜかというと,最近ようやく認識されてきましたが,そもそも,未知のウィルスが敵である以上,そして世界的にとめられない状況が起きている以上,人ができる対応には限界もあり,正解もなく,今後どうなるかもわからないと考えていたからです。
そのなかで,やれることをやっている政府,知事・長,行政,これを批判しても,ウィルスは耳を持っていません。もちろん,補償などの経済政策は別ですが。
そんな想いから,わたしのTwitterは,いまでも日常のことしか綴っていません。それは,平時が「有事」になってしまったことをわかりつつも,「平時」のツイートを続けたいからです。
◆ 肺炎の苦しさ
ところで,わたしは大人になってから肺炎になったことがあります。肺炎の辛さは思い出すだけでも,苦しくなります。風邪とは全く違うもので,簡単には治りません。周囲の人にその辛さを理解してもらえなかったことを思い出します(それは仕方のないことですが)。
しかし,現在のものはさらに過酷なようです。り患された方の,早い回復を祈るばかりです。新しい環境に自分を適応させながら,同時に,毎日の感染予防・拡大防止のための行動を続けていくことが大事ですね。