はじめて受験する人、再挑戦する人、あと1科目で官報合格を果たす人、仕事や学校と両立している人など、税理士試験にチャレンジする方はさまざま。
本試験を約1ヵ月後に控えたいま、自信のある方もいれば、焦る気持ちがどうしても出てしまい、勉強に集中できていない方も多いのではないでしょうか。
そこで、税理士受験生の皆さんが少しでも気持ちを落ち着かせることができるよう、先輩合格者の方々に本試験前の過ごし方を伺いました。
7月12日より5日間にわたって、タイプの違う方々にお話しいただきます。ぜひ、参考にしてみてください!(編集部)
先輩合格者を紹介!
うだ
山形県出身。地元の商業高校を卒業後、地元の税理士事務所に就職。のちに法人化し、現在まで勤務。税理士試験に初挑戦したのは1988年(昭和63年)。通算22回受験することになった簿記論に苦しみながらも、「なせばなる」というモットーと仲間たちに支えられ、33年の受験生活を経て2020年(令和2年)に念願の官報合格を果たす。学習スタイルは、専門学校(資格の大原)の通信講座を利用。受験歴は以下のとおり。
・消費税法(2回・1990年)
・法人税法(4回・1991年)
・所得税法(6回・1998年)
・財務諸表論(3回・2016年)
・簿記論(22回・2020年)
Q1 本試験1ヵ月前はどうしてた?
【全体】
まず全体としては、毎日の計画をざっくりと策定し、紙に書き、実情に合わせて微調整していました。
本試験前は、自分で立案した計画に沿って、ひたすら行動あるのみです。新聞・テレビ・ネット、職場では昼休みのお喋りの時間も削って、貪欲に勉強時間を確保しました。
また、本試験の2時間に体調のピークをもっていけるように、毎朝の起床時間も調整していました。
【理論】
理論は、教材の目次に鉛筆で印をつけ、各理論の定着度を管理していました。
○:とりあえず暗記はした、今すぐなら最低限言える ◎:部分的に弱いところもあるが、だいたい思い出せる ●:自信あり! |
はじめはどれも〇ですが、回を重ねるたびに、◎→●を目指して暗記作業をします。A・Bランクは全部●、Cランク・無印は◎を目標としました。ぎりぎりまで苦しみながらも、「暗記できた!」という実感そのものが、最高の精神安定剤となります。
また、睡眠中と計算問題を解く時間以外は、資格の大原の「理論サブノート」を手放しませんでした。応用理論にはこだわりすぎず、「考え方を軽く吸収できればよい」という意識で取り組みました。
【計算】
計算は、総合問題を毎日1題は解きました。弱点があればテキストに戻って見直し、間違いノートにチェックします。この流れは、以前書いた記事『「間違いノート」を使った”得点力”アップ術』のとおりですので、あわせてご覧ください。
Q2 本試験1週間前はどうしてた?
理論は、本試験1ヵ月前と異なるところは何もありません。継続あるのみです。2日で教材1回転を目指しました。
計算は、直前期に専門学校から「これでもか!」とばかりに追加される、高難度の項目を無理に詰め込むことをやめました。代わりに、間違いノートを毎日見直し、基本的な項目を絶対に間違えないことを強く意識するようにしました。
Q3 本試験前日はどうしてた?
受験地である仙台には前々日のうちに移動し、市内のホテルに2泊しました。
我が家では、納豆・さば水煮缶・キムチを具にしたものを「すーぱーさばねばうどん」と呼び、好んで食べています(一般的に「ひっぱりうどん」などと呼ばれていますが、キムチも入れてパワーアップです!)。自宅から仙台への出発前夜、縁起を担ぐつもりで食べていました。
前泊したホテルでは、理論は何も変えることなく、これまでの内容を継続あるのみです。合格した年は、頭がパンパンになっても、なお無理やり理論を詰め込んだことを覚えています。1日で教材1回転を目指しました。
一方で計算は、頑張りすぎて疲弊しないよう心がけました。基本項目や最近のトレンドを網羅した答練・過去問を厳選して持参し、ホテルで軽く解き直し、間違いノート・要点チェックノートを見直していました。
また、試験前日の午後は、ホテル周辺の散歩が恒例行事になっていました。たまたま散歩コースに東北税理士会館があり、「合格したらここに会費を納め、組織を支える立場になるのだ」という思いで、税理士会館の前を歩きました。
Q4 本試験当日はどうしてた?
試験場に持っていったものは「おまもり」と「周囲の人たちへの感謝の気持ち」です。家族や友人からのプレゼントを含む「おまもり」は、私にとって大切な宝物なので、基本的に全部持っていきました。
試験場入りしたときの心境は、ただ夢中で、周囲も目に入らず、目の前の課題に没頭していたせいか、よく覚えていません。「自分は絶対合格するんだ!」という強い気持ちで、試験に臨んでいたのだと思います。
試験が終わったら、感触がよい年もそうでない年も、合格発表までの過ごし方の指針とする目的で、記憶が新鮮なうちに必ず答案復元をするようにしていました。
また、あとから聞いた話ですが、自宅から仙台に向かった後、私を送り出してくれた妻が、地元の上杉・松岬両神社をそっと訪れ、私の合格を祈念してくれていたそうです。何度受験しても埒が明かない私でしたが、いつかは必ず夢が叶うと信じて、長い間、一寸たりともぶれずに応援してくれていました。
妻や友人、受験仲間、さらには事務所の担当先のお客様など、多くの人々の声援こそが、私の最大の武器でした。
この記事を読まれた皆さまが、本試験で実力を100%出し切れることをお祈りします。
なせばなる!
(編集部)
33年目の受験で官報合格を果たされたうださん。
最後の1科目の簿記論は、「基本的な項目」を押さえたことが合格のカギだったのですね。
奥様をはじめ、周りの方への感謝の気持ちを忘れない姿も印象的でした。
うださんのように、「あと1科目」という皆さん。もう少しで夢がかなうことを信じ、残りの期間を駆け抜けてください!