わたしの独立開業日誌 #社労士 岡 達己


はじめに

社労士には、お客様の事業継続に必要な知識だけでなく、労働者側のウェットな感情への解像度も欠かせません。これまでの出会いや経験が、お仕事をいただく場面やお客様との向き合い方で役に立っていると感じます。

華やかでなくとも、誰しも社会人として頑張った経験があると思います。それらがいかにして、社労士としてやっていくのにつながっているのかついて書こうと思います。
これから社労士を目指す人・開業を迷っている人・開業したての人の参考になることがあれば幸いです。

社会保険労務士 岡 達己

なるべくして無職になる

2009年に大学に入学した世代は、リーマンショックと3.11(東日本大震災)の余波もあり、極めて学生に不利な就活市場であったと記憶しています。
私自身は就活をしていませんでしたが、同期は50社受けて内定1社のような状況でした。「社会に入門するのに、大変な思いをしないといけないんだなぁ」と感じたことを覚えています。

また、会社というフィルターを通したとたん、「会社の人」として杓子定規になったり、場合によっては尊大に振舞う人がかなりいるらしい、ということに違和感を覚えた時期でもありました。
「会社員として自分の業務範囲に忠実になってしまうと、私自身は気の利いた仕事ができなくなっていくのではないか?」という今にも続く疑念は、この時に生まれました。

私自身は就活をせず、なるべくして無職になり、そのまま2年間ブラブラしておりました。何にも所属しない自分になったとき自分がどんな気持ちになるのか興味がありましたが、前向きに得られたものは特に何もありませんでした。

しかし不思議なもので、2年間も暇にしていると、労働の意欲がムクムク湧いてきます。ハローワークで紹介された東京都墨田区の金属加工の町工場に就職し、同世代の何倍も働くことになりました。
働かないこと・社会的な後ろ盾がないことの漠然とした不安は、事情があって休まざるを得ない人の気持ちに少し被るところがあるのではないかと、今では思います。

ハローワークで紹介された町工場で働く

日本の中小製造業は、厳しい状況に立たされています。安価で高品質な海外製が競合し、原材料費は上がり、高齢化も進んでいるためです。町工場減少によって外注ネットワークが弱体化し、地域の製造業全体の力も衰える一途です。
このような状況にあって、安ければ「1個数円の名もなき部品」を製造している工場も、事業転換を迫られる時期にありました。

私は入社早々にものづくりの上流工程、つまり設計工程や試作製造・オーダー品製造の仕事を会社にもたらすための、新規事業を担当することになりました。

金属以外の製造技術ノウハウを社内に蓄積したり、必要な製造設備を選定し、購入のために「ものづくり補助金」を通したり、ものづくりを伴うベンチャー企業に対して製造に関する問い合わせ窓口を担ったり、ものによっては私自身が製造したり…とやることはかなり多かったです。2年無職だった人間にいきなり大きな裁量を与えてくれた会社の懐の深さには、頭が上がりません。

人も会社も、「やりたいこと・やるべきこと・できること」の被る範囲を大きくしていくことで信頼を得ていくのだと学びました。
しかし、概して下請け仕事は業務量のコントロールが難しく、また図面ありきの業務では創意工夫も難しく、働く人のモチベーション維持が困難で、また社内で工程ごとに分業する形態では評価制度の導入も困難であることを知りました。

評価制度導入に慎重な社労士になったのには、ここでの経験が大きかったです。
3次元レーザー計測を活用したリバースエンジニアリングの方法を検討していたところ、知り合いから、「建設業にて3次元レーザー計測を活用した技術開発を行っているため、手伝ってもらいたい」というオファーをいただき、建設業に転職しました。

建設解体業での技術開発

建設業といっても、製鉄所や発電所・港湾設備といった大規模構造物を解体する専門の解体業で、上場会社でした。私は、解体する構造物の現況図作成をしたり、大型重機の進路をデータ上でシミュレーションしたり、そもそも設備更新が必要かどうかを判定するための調査を行っていました。また、京都大学と山口大学と共同で、LiDARというセンサー技術を用いた自動運転に関する技術開発も一部担当しておりました。

研究室のようなところでパソコンを前にしていると思われがちですが、実際には現地に行ってデータを取らねばなりません。朝早くから工事現場でラジオ体操をしてデータを取って、本社に戻ってデータを編集して…ということをしており、建設現場にもかなりの頻度で入場していました。

建設業においては、働く人の体力と注意力が十分に求められます。また、日々の天候によってもリスクが変わるわけで、危険予知や安全管理を厳に行います。少しの油断が重大災害につながりかねないということを肌で感じました。

雪山の廃工場は外よりも寒い。
社労士としては、こういった現場に立った経験も今に生きています。

完全装備で、今日もご安全に!

スタジオジブリで総務として働く

ある日、face bookのDMで「スタジオジブリの選考を受けませんか」というオファーをいただきました。嘘でも本当でも面白いと思い、選考に応募したところ採用されました。

製造・建設の現場系と違い、スタジオジブリでは総務部におりました。当時、スタジオジブリでは三鷹市にある「ジブリ美術館」を分社する動きがあり、分社にあたっては美術館に適した新たな労務管理・規程・制度が求められました。

そこで、勤怠管理システムを新しくし、少しずつ制度を整え、採用を起案し、日々の労務管理を行い…ということを主に担当しておりました。

また、有名な会社は労基署のマークも厳しいもので、それらの対応も行っていました。さらに、ブランドイメージが大切な会社では特に、「法律的に問題ないから」ではなく、会社の運営方針や成長戦略に沿いつつ、しかし一般的な感情にも反しないように施策を考える必要があります。

仕事の進め方については、かなり大きな裁量をいただいていたと思います。私が総務の者として心がけていたのは「スタッフの家族の次に、そのスタッフの人生の心配をする者でいる」ということです。

業務内容・人間関係・休日や休憩のあり方・どんなお昼ご飯や晩御飯を食べたいのか・持病との付き合い方・・・。これらの心配が杞憂であればそれで良しと思っていました。
会社運営とスタッフの要望は時に相反することもあり、そこで悩んだ経験は、社労士としてお客様の前に立つときに活きています。

社労士になったきっかけ

スタジオジブリ在職中のあるとき、上長から雑談の中で「せっかくだから社労士でも受けてみたら」と言われ受験し、合格しました。

本腰を入れて勉強した期間は5ヵ月程度で、「短期間ですね!」と言ってもらえることも多いです。しかし実際には、前提知識が豊富にそろった状態での受験でした。

というのも、スタジオジブリで労基署の対応を行い、実態としても、法律以上の基準で世間に顔向けできる状態に保っておくためには、労働基準法・労働契約法・労働安全衛生法・労災保険法・雇用保険法といったジャンルにおいては社労士試験よりも高い水準で知識と経験が求められるところで、コンメンタールをあたって顧問弁護士に質問することもありました。

そのため、社労士試験対策では年金科目に集中でき、短期間での合格につながりました。単に奨められるがままに受験していましたが、合格後、これが開業できる資格であることを思い出しました。

兼業で開業

スタジオジブリは兼業可能な会社でしたので、開業社労士として登録しました。ただ、「副業で大儲けしてやろう」という意図は全くなく、弁護士や社労士と関わることで知見を増やし、ジブリでの仕事の質を上げることを第一に考えていました。

ただ、なんだかんだとお仕事はいただきますから、夜中や土日に活動していました。兼業だからといって業務を絞ることは無く、労務相談・制度設計・給与計算・助成金…と幅広く行っていました。自宅開業のため、登録費用・電子証明書・複合機・パソコンくらいの開業費用、具体的には60万円ほどしかかかっていません。

兼業の良さは、生活のために無理して仕事を取りに行かなくてもよいところです。要件を満たすのが難しそうな助成金の相談や、最初から価格を安くすることを考えている商談はすぐにお断りしていました。また、気の合う知り合いをじっくりと増やしていけることも大きな利点です。

さらに、会社員として取り組んでいることを飲み会で話すと、相手の印象にも残りやすいです。覚えていてもらえるかどうかというのは、他の飲み会に誘ってもらえるか、社労士が必要な場面でご相談いただけるかに直結します。

また思った通り、兼業によって総務部員としての能力も上がりました。
コロナ禍がひと段落しジブリ美術館は連日満員御礼、新作映画が公開され、ジブリパ-クも開業し、日本テレビが親会社になるといった大きな変化を間近で見ることができ、総務部員としては得難い経験を多く得ました。

スタジオジブリはもともとかなり健全な会社ですが、近年、事業継続という面での完成度は一段と高まっています。しかし修羅場こそが自分の能力を高めてくれますから、このまま完成度の高い会社にいることで、自分の能力はもう上がっていかないのではないかという危機感を持つようになりました。

今後、人事労務が頑張らざるを得ない重大な局面がやってくるのに10年くらいはかかるかもしれません。その時になまりきった自分が会社の役に立てるのだろうか、と思うようになりました。

これは矛盾した話なのですが、会社の役に立つには、会社の外で本気で事業を行って、社会人として、経営者として、労務の専門家として経験を積んでいくほかないという結論に至り、スタジオジブリを退職して社労士専業になることを決めました。

スタジオジブリを辞めて専業になる

2025年8月に専業化すると皆様とのご縁は増え、10月に赤坂に事務所を借り、翌4月には正社員を雇用しました。

よく、「士業は開業早々お客さんがつかないから、2年間は貯金が減るものだと思え」という言説も耳にします。幸いなことに貯金を減らさず、月に3~4件ペースで顧問のお仕事をいただけているのは、兼業時代にいただいたご縁によるところが非常に大きいです。

考えてみれば、会社員として安定した基盤を持ちつつ、月に3万円の顧問契約をいただくことはそこまで難しくありません。この3万円をNISA口座に入れて年に5%増えればいいな…という使い方をするよりも、1回1万円の会食に月に3回出かけていって隣接士業と関係を構築することの方が、リターンは圧倒的に大きいです。

売上が伸びて雇用するとなると、事業用口座に入るお金も増えます。ただ、個人事業である以上は個人のお金と言うことになります。ここになんとなく違和感がありました。みんなで頑張って稼いだお金は、法人の口座にプールしたうえで一定のルールによって配分する方がフェアーではないかと思いました。

また、社労士専業でやるからには、安定した良い仕事と専門的な仕事の双方を伸ばしていって、最大手を目指すのが面白いとも考えています。良い仕事・良いサービスは、気の利いた人から生まれます。そういった人を雇用するには、ますます個人事業というわけにはいかず、法人化を検討することになりました。

余談として、どのようにご縁が増えたのか

製造業・建設業という技術営業が重要な業界にいましたから、「仕組みでお金を稼ぐ」「仕組みで仕事を増やす」ということには強い違和感がありました。

仕事になる・ならないに関わらず、目の前の人との時間を大切にするというのが一番大事だと感じます。隣接士業からのご紹介でお仕事をいただくことが多いですから、私自身はどうやってご縁が広がっていったのかを思い出してみました。

記憶にある最初の起点は、Xで募集されていた「士業麻雀交流会」だったように思います。10回ほど開催され、そのうち3回くらい優勝していると、後日別の麻雀でもお声がかかるようになり、飲み会にも呼んでいただけたり、フットサルやランニングに誘っていただけるようになりました。

隣接士業との飲み会に来る開業社労士は珍しいようで、皆様の印象に比較的強く残るようです。

閑話休題、法人化と今後の展望

社労士業界での法人化は、「組織的に業務運営を行うこと」「拡大路線をとること」のメッセージだと私は思います。

私は、自分の組織を100人規模にしたいと思っています。既存の社労士業務のみで達成できるかは分かりませんが、100人の組織を作ることができれば、社労士業界では最大手に近いと言っていいでしょう。

士業の世界で100人というのは大手ですが、世間一般の事業会社ではまだまだ中小企業です。その規模の中小企業を目指して最大手になれるとなれば、これは目指してみる甲斐があると思いました。

ただ、会社っぽい会社にすることが成長につながるとは思えません。皆さんが「そんな馬鹿な…」と思う方法で成長して参ります。

振り返ると、自分は回り道をしたのか?

無職から始まった自分のキャリアは失敗だったのでしょうか? 無職では漠然とした不安を思い知って、町工場では頑張っても待遇を上げづらい業界の構造を知り、解体業では安全管理の重要性を学び、スタジオジブリでは人との向き合い方を知りました。

これらの経験全てが無駄にならず、社労士としての経験に生きています。

今まで自分が考えてきたこと・頑張ってきたことに思いを馳せて、隣接士業と雑談ができるように努めれば、社労士としては未経験でも何とかやっていけるのではないかと思います。

<プロフィール>
岡 達己
社会保険労務士
東京都出身。早稲田大学卒業後、株式会社浜野製作所・ベステラ株式会社・株式会社スタジオジブリを経て、現在は社会保険労務士法人たぬき座の代表を務める。制度設計・給与計算・諸手続きを行う顧問業務の他、IPO支援や労務DDも多く手掛ける。
・事務所HP:https://office-raccoon.jp/


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