🌻夏休みに読みたい! 闘魂さんがオススメする課題図書📚


【編集部より】
受験生にとっての夏休みが到来しました!  「スキルアップがしたい!」、「キャリアやプライベートで新しい発見がしたい!」と考えている人も多いのではないでしょうか。そこで、本企画では、実務家などの読書愛好家から、会計人コースWeb読者の皆さんにオススメする「夏休みの課題図書」をご紹介いただきました(1日お一人の記事を順不同で掲載します・不定期)。
受験勉強はもちろん、仕事や人生において新しい気づきを与えてくれる書籍がたくさんラインナップされています。ぜひこの機会にお手にとってみてください!
今回の記事では、闘魂さん(公認会計士)に課題図書をお薦めいただきました! noteでお馴染みの闘魂節全開でお届けします!

闘魂だ。普段はケチな独立会計士として渡世しながら、ネットの片隅でたまにnoteをちまちま書いたりしている世の中的にはわりとマジで何者でもない存在だ。なのだが、今日は何を間違ったかこのようなメジャーフィールドに迷い込んでしまったようだ。

さて、今回は「夏休みの課題図書」について思う存分語ってよい企画と聞いている。どうやら、夏は税理士試験・公認会計士試験といったBIGな試験が終わり、受験生につかの間の休息が訪れるシーズンということらしい。

企画を聞いた瞬間、おれはピンときた。これは、試験が終わり油断している若者たちを洗脳するまたとないチャンス。早速、ハリキって膨大な量の布教用テキストを作成し、意気揚々々と中央経済社に送り付けた。結果は言うまでもない。当然のごとく、「いくらなんでも長すぎる」、「さっさと本を紹介しろ」とのことで却下され、主に「小学校の頃の読書感想文の思い出」みたいな、おれ以外にとっては心底どうでもいいパートを削りに削るハメになった。人生とは、ままならないものなのである。

そう、人生はままならない・・・まずは、そんな話からさっさとはじめてみることにしよう。

オススメ書籍①『ロックで独立する方法(新潮文庫)』(忌野清志郎、新潮社)

忌野清志郎(1951-2009)は、メジャーシーンでも活躍しながら、いろいろと騒動を巻き起こし、「ロック」であり続け、多くの人に愛された不世出のバンドマンである。今の受験生世代だとなじみがないかも知れないが、興味があれば人類の叡智の書Wikipediaでもググってみて欲しい。

ロックミュージシャンともなれば、技術やセンスを武器に夢を実現し、さぞ「独立」的で「自由」に生きていることだろう、と思うかもしれない。ところがどっこい、レコード産業、バンド仲間、そして、ファンの期待、等々・・・世の中は案外面倒と不自由だらけなのだ。清志郎ほどのアーティストであっても、「夢と現実」の問題は人生に付きまとい続けた。そんなことを語った自伝的作品だ。

「独立」は、BIGな資格取得を志すメジャーな理由のひとつだろう。これは別に、イコール「個人事業主」ということではない。なんか専門性とかがあれば、かろうじて言葉は通じるが話は通じないヒドい上司に服従しなくてもイケそうとか、ヤバい会社に勢いで辞表を叩きつけても次の職にありつきやすそうとか、そういうのも「独立」っぽいものだ。要するに、専門知識のオーラで一目置かれて、人生のコントロールを手放すことなく、うまいこと渡世したい。みたいなものがおれたちの「独立」なんだろうと思う。

まあ、そんな中でも、「独立」の代表例が「独立開業」であることは間違いない。

「独立開業」・・・夢のある響きだ。専門性を手にし、組織に頼らず、自分の名前で面白そうな仕事をして生計を立てる。勤務時間にとらわれず、昼間から観たい映画を観て、気の合う仲間とつるみ、夕方からビールを飲む。すばらしい・・・。そして、いずれは唯一無二のネームバリューをGETして、なんか来てもらえるだけでうれしいっすみたいに人々から尊敬とカネを集める・・・スゴイではないか。

言うまでもないことだが、こういうのはSNS空間に漂う無限の承認欲求とか、裏で世界を牛耳る暗黒グローバルファームとか、なんかそういう感じの連中が若者を誘惑すべくつくり出したまやかしである。時たま、人生がめっさイケてる感じのやつもいることはいるが、それはおれのような多くの一般ピーポーにとって、独立をめぐる現実とは到底言えない。

実際のところ、毎日ドバイで金持ちのフレンズとキラキラSNSみたいなことばかりしていてはメシは食えないのだ。独立には泥臭さがつきもの。油断すると無職になるという、うすら寒さを背中に感じながら、昨日までの怠惰なオレのせいでひっきりなしに締め切りに追われ、昼夜問わずパワー・プレイし、ワガママな雇い主に「もしもし、聞こえる? わたしよ」と振り回され、無意味にキレられ、挙句の果てにカネ払いを渋られ、ヤケになってビールを飲んでしまい、エンドレスにプライムヴィデオとかで堕落しているうちに、また仕事がたまる・・・そんなのも「独立」のREALだ。

おれはたまに思う。「これは本当に独立していて自由だと言えるのだろうか?」と。

いったい、「自由」とは、「独立」とは、何なのだろう。それは単に脱サラしたとか、イケてるスタートアップを立ち上げたとか、スタバでマックブックエアーとか、そういう見た目の事だけでは語れない何かなのだ。思うままなんだってやれそうな、デカい組織の頂点にいるはずの経営者だって「株価」や「市場」といった得体の知れない巨大な力の圧により、追い込まれるように不正に手を染めたりすることがある。そして、人類は未だに重力に魂を縛られているし、星々もたぶん宇宙の法則からは自由になれない。世の中は世知辛いのである。

世界や社会の中で「独立」して在ること。それは、実はとても複雑で難しいことだ。

清志郎が30年のPRO生活を通じて「独立」について、見て、感じて、考えたこと。そこから垣間見えるのは、真の「独立」を目指し、問い続ける姿勢だ。そうしたものに触れることは、自分なりの「独立」について考えるヒントになるし、なにより、「独立」のREALに打ちのめされ、心が折れそうなときにおれを勇気づけ、原点を思い出させてくれる。

「自分のウデで人生を切り開いていきたい」
少なくとも昔、おれはそう思った。

「独立」は実現できたかどうか、辿り着けるかどうかじゃない。
人生のテーマなのだ。

オススメ書籍②『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』(長崎励朗、創元社)

そう。どうせなら人生にはテーマがあったほうがよい。

おれは、ブルーハーツが歌った、「大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない」(少年の詩)を信条に生きてきた。いい歳してダサい。そうだなあ。しかし、ダサかろうがなんだろうが、実際にそう思っているのものはしょうがない。恥ずかしいオレ自身に向かい合う事もまたおれの責務なのだ。

おれが「独立」して生きていきたいと思うに至ったのには、多かれ少なかれ、若き日に聴いた「ロック」の影響があるのだろう。と言うと、あたかも昔から「独立」を目標にして着々と歩んできたかのようだが、実際のところは違う。「ロック」的なものを標榜するやつは世代が変わっても後を絶たないが、だいたいのやつは、思春期に「ロック」だなんだと言っていても、それなりの年齢になれば、きちんとそういうのを卒業して大人になり、就職とかしていくわけだ。おれはそれがどうも納得できなかった。その結果、いったん無職になったのだが、無職になったからとて自由に生きられるはずもなく。気が付いたら、職を求めて「ロック」とはほど遠い「国家資格」をとることになっていた。というのが事の真相だ。

まあ、済んだことはいいとして、このように、時たま人の人生を狂わせる、「ロック」とはいったいなんなのだろうか。

「ロックな生き方」とか「アイツはロックだから」のように、音楽にまつわる言葉はなんとなしのイメージをまとっていることが多い。現代でも、相変わらず「ロック」は、自分の価値観に従って生きる美意識とか、反体制的なアティテュードとか、そんな感じだったりするのだろう。

しかし、それは本当か? いつからどうしてそうなったのか?

「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉があるとおり、音楽のような人々の文化的な営みは、社会の動きと何かしら関係してそうだ。ラジオやレコードといったメディアの発達にともなって音楽が大衆のものとなってからは特に、時代時代に流行歌があり、音楽ムーブメントがあり、世代を象徴するカルチャーがあった。我々が今「ロック」だと考えているものも、そういうもののひとつだ。

『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』は、「知識は使ってナンボ」が信条の著者が、「ロックは社会を変革する」みたいな、ポピュラー音楽にまつわるさまざまな「思い込み」を、知識社会学というガクモンを用いて痛快に論じたおす、知的にエキサイティングな作品である。ちなみに、著者が自ら本に基づいて音楽語り多めに関西弁で講義したおすYoutubeヴィデオ(アーカイブ社会学講義)もあり、一冊で2度楽しめるお買い得品となっている。

「私たちはなぜ、このように考えるのか。」物事を社会的なものとの関係、構造と結び付けて問うことには、なんというか、素朴な面白さがある。そうやって自分の頭に事物の関係性の「地図」を作っていく作業は、価値観を相対化し、自分の視野を拡げたり、俯瞰的な視座を得たりすることにつながっていくだろう。そんなことを教えてくれる本である。

SNS等の普及もあり、日々膨大な量の「真実」が飛び交っている昨今だ。ビジネスや会計にまつわる言説も多元的で多様、つまり、カオスだ。そうしたカオスの中でも、「いったいどうして、この人はこんなことを言うのだろう?」と、事物の背景を考えながら、ひとつひとつの現象を解釈することを通じて、自分なりに描ける「地図」がきっとあるはずだ。

「地図」を片手に、複雑な現代社会の中で自分だけのテーマ、すなわち「道」を見いだすのだ。

オススメ書籍③『消費文化理論から見るブランドと社会』(吉村順一編著、中央経済社)

そう。現代社会は複雑だ。

物事を社会的な要因との関連で分析していく試みは、ビジネスの分野でも当然に行われている。最後はそんな本だ。

昨今、物が売れない時代と言われる一方で、「コト」、「トキ」、「記号」、「物語」等々、消費を語る言葉ばかりが、どんどん品ぞろえ豊富になっているように感じる。これは要するに、消費者が何を買ってるんだかよくわからないということであり、ということは、当然、商売人も自分が何を売っていけばいいのかよくわからなくなっている、とまあそんなところだろう。

こうした世間の消費行動の変化みたいなことは、案外、専門サービスを提供する商売にも当てはまるのではないか、という事をしばらく前から考えている。専門サービスは、一般的には高度な知識を用いてソリューションを提供したりするものだと考えられているように思う。しかし、現場で色々やっている中で、例えば、「一緒に働く体験」的なものを買っているとしか考えられないようなクライアントが結構いるということに、おれはだんだんと気が付いてきた。ファッションが機能だけでは語れないように、専門家を雇うことにも、様々な消費のされ方が見つけられそうだ。

おれは、ビジネスマンに身をやつして渡世していくためには、「自分は誰に何を売っているのか」、という問いが重要だと考えている。それは、自分の何がどのように買われているか、についてちゃんと考えることでもある。これは明示的に対価が示され、財やサービスがやりとりされるケースについてだけではなく、日常的な貸し借りめいた交換についても同じだとおれは考える。平たく言うと、間接部門のサラリーマンでも考えておくべきだ、という事だ。そして、それを考える際に、デリバリーされている実用的な機能「以外の部分」において、知らないうちに買う側は買う側でクリエイティブに価値を見いだしたりしている、というメカニズムに目を向けてみることは、案外大事かも知れない。と、まあそんなことを思っているわけだ。

消費文化理論は、そんなようなことも含めて、現代の消費の在り方を解明しようという、わりと新しめの消費研究のフレームワークだ。今回紹介する『消費文化理論から見るブランドと社会』は、そうした理論を使って、ノマド、ミニマリストといった現代的な消費カルチャーやブランドの事例分析を行い、それらの相互作用に着目することで、現代社会の実像に挑まんとする論考を集めた書籍である。

ビジネスであろうが音楽のような文化的な営みであろうが、それが社会の一部であることは明らかだ。見ようによっては両者の距離は近い。知ってのとおり、音楽には商品としての側面もあり、ビジネスめいた言葉によっても語られる。では、逆はどうだろうか。ビジネスの中にも文化的な営みになぞらえて考えてみることができる部分があるかもしれない。我々専門家も、間違いなくその営みに関係する存在のひとつだ。とすると、専門家を選ぶことも消費者(委託者)にとってはアイデンティティ=自分(達)らしさの一部になり得るのではないか、みたいな問いを立ててみることもできそうな気がしてくる。

そんなこんなで、おれは最近、「選ぶこと自体がイケてる/自分たちにフィットしている、と感じられる専門家」のようなことを実現するにはどうしたらいいだろうか、ということについて考えてみたいと思いはじめている。現代の消費研究は、そういうことを考えるうえで何かしらヒントを与えてくれるのではないか、と期待しているところだ。

消費が手ごわいテーマであることは、自分を顧みればただちにわかる。やはり『百年の孤独』(G・ガルシア=マルケス)のハードカバーが本棚に入っているのは気分が良いものだ。なんなら、おれの本棚にはちょっと立派な装丁の『精神現象学』(ヘーゲル)も飾ってあったりする。もちろん読んでない。本棚はなりたい自分の陳列棚でもあるのだ。あまり本を買わないタイプでも、同級生があまり聴いていないマニアックな音楽を愛聴していることに満足感を覚えるみたいな体験に、思い当たるフシがあるやつはいるだろう。そういったことは枚挙にいとまがない。およそ本質とは思えないかもしれないが、消費とはわりとそういうもんなのである。

かくのごとく奥深いマーケットで、「選ばれる専門家」になるにはどうすれば良いのか? 資格試験という入り口をパスした後、多かれ少なかれ、そんなことを考える機会もあるだろう。正攻法で、ビジネスに即効性のありそうな「カケザン」のスキルを身に着けるのも悪くはない。ただ、思いがけないものが思いがけない理由でウケるのも市場の常。正解はあるようでない。であれば、いっそのこと、「なんでかようわからんけど、この人と契約したらたぶんオモロイことになる」、とか、「コイツとやったらなんでもやれそう」みたいな境地を求めて、自分なりの「道」を探してみるのも面白いのではないだろうか。

そのために必要なことがなんなのか。おれにはまだハッキリとはわからない。だが、世の中には偉大な先人が多数おり、その叡智の一部は書物として手軽に手に取れる形で世間に流通しているのである。これを逃す手はない。本を読むのだ。別に小難しい本でなくてもいい。エンターテインメントの本は、エンターテインメントたるにはどうすればいいかという事をちゃんと教えてくれる。

もっと言えば、別に本を読まなくてもいい。手当たり次第、映画を観たりアニメを観たりゲームをしたりしてもいいし、ふらっとどこかに出かけてみてもいい。エンドレスに友達とアホな話をしてみても、もちろんいいだろう。そうした時間が、一見するとまったくの無駄に見えても構わない。無駄な時間からも多くを学べるのだ。他人には理解されなくてもいい。何年も無駄な時間を過ごしたおれが言うんだから間違いない。

とにかく、なんでもいいから、この夏を思い出に残る夏にするのだ。

それがおまえの「道」に通じている。

以上だ。

【執筆者紹介】

闘魂(電子の海に潜む闘魂)

業歴20年、独立して15年ほどの公認会計士という設定のネット人格。
5~6年前に半分やけくそで書いたnoteがなぜか2023年に発掘され、以来、ネットの片隅で会計人の皆さまに遊んでもらっております。
・Xアカウント(@sohmato_vision
・あまり更新されないnote「電子の海に潜む闘魂


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