藤井太郎
僕が所得税と筑前煮の関係について考えはじめたのは、税理士になって2年目の夏のことだった。ためしに筑前煮を作ってみた。見た目より手間のかかる料理だとわかった。
いったい所得税と筑前煮の間にどんな関係があるというのか? いくら2020年の税理士試験で「当たり馬券の払戻金と必要経費の課税関係」が出題されたからといって、まさか来年「所得税と筑前煮の関係を述べよ」という問題が出ることはないだろう。意味がわからない。でも僕は、そういうくだらない妄想が好きなのだ。
僕は元舞台役者
僕は2012年に税理士試験で5科目合格を達成し、2013年に税理士登録をした。小さいが自分の事務所も構えている。AIに仕事が取って代わられないか、クライアントが後継者不足でバタバタと廃業しないか、10年後の先行きにビクビクしている。人が亡くなるとお悔やみの言葉とは裏腹に相続税と確定申告について考え、入院すればお見舞いの結びに医療費控除について説明する。個人経営のお店にご飯を食べに行けば売上除外と損益分岐点に思いを馳せる。要するに、どこにでもいる税理士の一人である。
ただひとつ違うのは、僕はかつて7年間、舞台役者として日本全国を巡業していた。積み上げた本番ステージは1,000以上。20代後半から30代、多くの税理士が実務でたくさんの場数を踏んでいる間、僕は舞台でスリリングな毎日を送っていた。
東海税理士会の市民フォーラム
僕が舞台役者をやめて税理士になって3年。2016年に東海税理士会で、一般の方々に税の仕組みをわかりやすく伝える「市民フォーラム」が企画され、僕にも参加のオファーが来た。本番は秋深き11月。GW明けには早くも名古屋で企画会議が開かれた。
なぜ僕のようなペーペーに声がかかったのか。理由はすぐにわかった。僕のほかに、シンガポールから自家用ジェットと自家用ヘリでビル屋上に乗りつけたようなイケイケな出で立ちの税理士がいる。おそるおそる挨拶を交わしてみると、すごく気さくだが、哀川翔と近藤真彦を合わせたような喋り方。なるほど、色物が集められたわけだ。
企画会議では「たくさんの市民の方に来てもらうために著名人に講演を依頼したり、クイズ大会にして参加賞を配るお得感が必要だ」というまともな意見と、「せっかく色んな税理士が集まったのだから我々にしかできないことをやろう」というまともじゃない意見が出た。現存する会議資料には「つぼイノリオ*●万」とギャラが走り書きしてある。
* 1949年、愛知県一宮市生まれ。1993年から四半世紀を超える長寿番組であるCBCラジオ「つぼイノリオの聞けば聞くほど」(月曜~金曜9:00~11:55)のパーソナリティ。経営者でもあり、多ジャンルでの講演多数。
しかし、まともに議論を重ねた結果、なぜかまともじゃない意見が採用された。税をテーマに、30分のオムニバスの芝居を3本。税理士が脚本・演出・出演・解説・裏方仕事のすべてを一切の妥協なく「ガチ」でやろうというのである。その後3年間続く、「おとなの税金教室~劇場版~」の始まりであった。
「所得税と筑前煮」の誕生
顧問としてメンバーに加わっていた老紳士の税理士は、他のメンバーに優しくこう語りかけた。
「税がテーマだと暗い話になりがちですが、未来に希望がもてるような、明るい気持ちで帰ってもらえるような内容にしてください」
……考えれば考えるほど、とても、とても難しいことである。だって税金ってどうしようもない嫌われ者なんだもの。下手すると国税庁への忖度だらけの舞台になりかねない。でもその言葉は、僕が「税」を扱う職業を目指し、長い回り道をするなかでぼんやりと考えていた「税」というものの捉え方に通じるものがあって、いつまでも心に残った。
台本なんて書いたこともないし演出だってしたことがない。それでも舞台経験者だからとハッタリをかまして脚本と演出に名乗りを上げたのは、その言葉への答えを探すためだった。
そうして企画が固まった6月以降は、妻と幼い娘が寝静まった夜を脚本執筆に充てた。できあがった原稿は会議に提出し、メンバー全員(みんな経験豊富な税理士)のアドバイスを受け、何度も推敲を重ねる。寝不足で同時にいくつもできる口内炎に辟易しながらも、脚本を何十回となく書き直す作業はちっとも苦痛ではなかった。そして誕生したのが「所得税と筑前煮」である。
そして「カントク」へ
8月には稽古が始まった。ど素人の税理士だけで舞台が成り立つのか? 不安げなメンバーに僕は確信をもって語りかけた。
「気持ちの入っていないプロの芝居よりも、気持ちのこもった素人の芝居のほうが数倍感動します。みんなが同じ方向を向いて一生懸命やる姿に人は心を打たれ、いい舞台になります」
僕はメンバーに、舞台と客席が一体となる快感を味わってほしかった。そのために稽古中は目上の税理士にも遠慮しなかった。納得できるまで何度もダメ出しを繰り返し、精神的に追い込んでいった。それは舞台に立つ緊張感を養う訓練だった。
本番間近になると、引っ張られるのはむしろ僕のほうになっていた。役者(税理士)同士ああでもないこうでもないと言い合っている。台本もボロボロになっていく。解説で使うパワーポイントは、台本同様にわかりやすさにこだわりぬいた。より多くの人に来てもらうための、新聞・ラジオ・テレビでの告知とチラシ。運営も心配りが行き届いている。イベントに関わるすべての人が芝居を全力でバックアップしてくれる。みんなが同じ方向を向いていた。
公開リハーサル後の飲み会では、疲れ切った僕にメンバーがこう呼びかける。
「カントク、今日のあのシーンどうだった?……カントク、本番の衣装は……カントク、あそこのパワポの切り替えだけど……」
いつのまにか僕の呼び名は「カントク」になっていた。
たどり着いた答え
ついに本番の日。クライマックスのシーン。僕は照明を浴び、自分が脚本・演出を手がけた舞台に税理士役として立っていた。不思議なくらい冷静で、舞台と客席の一体感を懐かしく感じながら、ゆっくりと語りかけた。
「先生。そう呼ぶ人もいるけど、この仕事って何なんだろうって、ときどき考えるんです。僕たち税理士は『税金高いからなんとかして』って年中聞いてます。……気持ちは痛いほどわかりますよ。……でも、僕たち現場の税理士にできるのは、その声に耳を傾け、一人ひとりに寄り添って、一緒になって悩んで考えることじゃないかと思うんです。一人ひとりの適正な税がどれくらいなのか、親身になって考える。どんな税制がいいのか、必死になって考える。これ全部、税理士の仕事です。」
僕が舞台を通して伝えたかったことは、嫌われ者の「税」を、せめて芝居の力で少しでも救い出してあげたいということ。それが「税」理士としてたどり着いた一つの答えだった。
「所得税と筑前煮」は、そんな僕の思いを注ぎ込んだ物語でもあった。
舞台役者が税理士に
1999年に税理士になると決断し、実務と受験勉強をしていくなかで待っていた挫折と苦悩の日々。何もかもが耐えきれなくなって、僕は一度「税の世界」から逃げ出した。もがき苦しんだ末に不時着したのが「舞台役者」という別世界。そこから7年という長い年月、外から「税の世界」を眺め、僕は葛藤しながらもう一度「税の世界」に帰ってきた。
「会計人コースWeb」読者のみなさん。税理士を目指す理由はなんですか? 僕にも税理士を目指す理由があり、たくさん回り道をしながらも税理士になりました。でも、税とは無関係の世界で、僕は大切なものを学んだような気がするんです。
この物語は、いまも「カントク」とよばれ、「税」との向き合い方を探究し続ける、ちょっと変わった税理士のドキュメンタリーである。
第2話「サンシャイン」へとつづく
〈執筆者紹介〉
藤井 太郎(ふじい・たろう)
1977年三重県伊勢市生まれ。亜細亜大学法学部法律学科卒業。2015年藤井太郎税理士事務所開業。夢団株式会社会計参与(http://www.yumedan.jp/)。東海税理士会税務研究所研究員。
「所得税と筑前煮」はこちらから見れます
「おとなの税金教室~劇場版」録画ビデオ
(提供:東海税理士会)