【商業高校出身会計士のキャリア】プロ野球選手を目指した少年が「会計」と出会った場所(前編)


石井幸佑(公認会計士・税理士)

【編集部より】
以前、とあるテレビ番組で「商業高校芸人」がテーマとして取り上げられ、界隈では話題になりました。以前から気になっていた「商業高校出身」の公認会計士にフォーカスするなら今では!?ということで、本企画が立ち上がりました!
一般的には、商業高校卒業後は就職する人が多いというイメージがあると思われますが、今回の企画では、商業高校を選んだ理由から公認会計士を目指すきっかけ、商業高校ならではの強みなどを伺いました。商業高校出身の現役受験生や合格者の方はもちろん、現役の商業高校生にも、将来について考えるきっかけになるはずです!

甲子園に立つ球児のユニホームに憧れ、商業高校へ進学

私はY校の名称で親しまれる横浜市立横浜商業高校の出身で、卒業してから20年以上たちます。商業高校出身であることで、生い立ち等に興味を持っていただき、仕事上、話題が広がることもありますし、今回このような執筆の機会をいただくなど、様々な機会に恵まれると感じています。

私と商業高校の出会いは、ずばり”野球”です。小学生から野球を続けており、プロ野球選手を夢見ていました。中学校3年生になる春休み、春の選抜甲子園の神奈川代表は横浜商業高校でした。

スカイブルーにYの文字が刻印されたユニホームを見て、「カッコいい! Y校に行こう!」と即決しました。実は、商業学校について全く理解もないまま進路先を決めてしまったのです。

父からは「商業高校は後々の選択が少なくなるからダメだ!」と強く反対されましたが、あのユニホームを着て野球をしたい私は話を聞かず、父が根負けしてY校への道が決まりました。

「会計はどんな会社でも必要不可欠なもの」という先生からのアドバイス

記憶を頼りに書いているので正確ではない点もあるかもしれませんが、高校1年生のとき、一般科目よりも商業科目の単科数が多い時間割を見て、「商業高校に来たのだなぁ」と実感したことを覚えています。

具体的には、簿記会計・情報処理・ビジネス一般に関する科目があり、ここで私は初めて「会計」に出会います。しかし、この時はあまり会計について特別な思い入れや意識はありませんでした。
ただ、高校2年生になると、メインとなる商業科目を選ぶ必要があったため、たまたま成績が良かった「簿記・会計」が中心のコースを選択することにしました。

そして、2年生の時、簿記・会計の先生から、「会計はどんな会社でも必要不可欠なもので、会社の血液のようなもの、これを知っておけば絶対に将来役に立つ」というお話を聞き、これが私自身の人生を決めるアドバイスとなりました。

それまでは、簿記・会計の価値について実社会と結び付けてあまり考えていませんでしたが、このお話を聞いてからは、「どんな仕事でも必ず関係する”会計”とは一体なんなのだろうか」と、強く興味を持つようになりました。

また、商業高校ならではかもしれませんが、検定を受験することもカリキュラムに含まれており、一般的に知られる日商簿記検定試験のみならず、全経簿記(全国経理教育協会主催の簿記能力検定試験)、全商簿記(全国商業高等学校協会主催の簿記実務検定試験)という検定試験もありました。
当然、私もチャレンジし、簿記の全タイトルを制覇しています。なので、「これらの資格を持っている」という人の情報を聞くと勝手に親近感を覚えます。

プロフェッショナルを目指して

商業高校入学後は野球漬けの日々を送り、プロ野球選手を目指していましたが、現実は厳しいものでした。失敗を恐れてチャレンジすることをやめてしまったというほうが正確かと思います。

高校2年生の途中から野球と向き合うことをやめてしまい、退部はしていませんでしたが、とても中途半端な野球人生となりました。「このままではダメだ」という悶々とした思いと、「何かのプロになりたい」という想いから、将来を改めて考えた時、「会計のプロになればよいのではないか」という考えが浮かびました。

「どんな世界でも会計は必要になる」という先生のアドバイスと、「何かのプロになりたい」という想いが重なったのです。そして、会計のプロについていろいろと調べ、税理士と公認会計士という資格にたどり着きます。

「人のためになることをしなさい」という父の教えのほか、「どんな人でも知っている有名企業を相手に活躍したい」という想いから、広く社会経済に貢献ができ、大きな企業と仕事をする可能性が高い公認会計士のほうに強い興味を持ちました。また、公認会計士は医師や弁護士とならび三大難関国家資格といわれていることからも、私の挑戦意欲が高まりました。

アルバイトをしながらリベンジ受験

経済的な事情もあり、「3年内に合格する」と両親と約束しました。高校時代に取得した簿記検定の資格と成績により、入学金や授業料の免除を受けられた東京IT会計専門学校(当時)の3年制に入学し、公認会計士試験の受験勉強を進めました。

寝る間も惜しんで一生懸命勉強しましたが、3年目の初めての受験は不合格でした。入学時に交わした両親との約束では、すぐに就職することになっていたので、不合格通知を見た時には「会計士の夢も諦めないといけない」と落胆したことを今でも鮮明に覚えています。

私自身は、模試の結果からみても受かる可能性は高いと考えていました。専門学校の先生も同じ考えだったことから、もう1年間、受験勉強を続けることを両親も応援してくれました。そうして、なんとかあともう1回だけ受験のチャンスを得ました。しかし、日中はその専門学校でアルバイトをしながらお金を稼ぎ、勤務終了後の夜の時間から教室で勉強するという、これも思い出すと胃が痛くなるようなハード生活でした。

22歳となった2回目の受験で、なんとか公認会計士試験に合格することができました。ギリギリの状況でやり切った経験は今でも糧になっています。

後編へつづく

<執筆者紹介>

石井幸佑(いしい・こうすけ)

公認会計士・税理士 公認不正検査士
株式会社BioAid代表取締役、石井幸佑会計事務所代表
1982年生まれ。2004年公認会計士試験合格。株式会社アーケイディア・グループを経て、新日本監査法人に入所し金融監査に従事。マネージャー昇格後、再生医療ベンチャーの株式会社メガカリオンに出向(後に転籍)。累計62億円の資金調達成功。執行役員として会社体制構築やIPO準備推進。
2019年に会計事務所設立し、2020年からバイオベンチャー特化の経営管理支援を行う株式会社BioAid創業。ラクオリア創薬株式会社やChordia Therapeutics株式会社の社外取締役、その他複数バイオベンチャー社外監査役としても活動。また、地域貢献活動として、地元・神奈川県藤沢市の行財政改革協議会委員や指定管理者選定委員就任。イノベーションゲートウェイ湘南ロータリークラブ創立メンバー理事、2023-24年度幹事就任。


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