【編集部より】
昨年、会計人コースWebに掲載した山本庸介先生(税理士)の記事「バケモノと呼ばれた男の最速合格マインド」は読者からも好評で、刺激を受けた受験生も多かったようです。その山本先生が代表を務める事務所で働く安川大祐さんが、2年4ヵ月で官報合格したとの情報が入りました!
山本先生から刺激を受けた点や正直なところ大変だった点などを、前編・後編に分けて、忖度なく伝えて頂きます。各回の最後には、元祖(!?)バケモノと呼ばれた男・山本先生からのコメントもたっぷりお届け! 会計事務所で働きながら勉強を続ける現役受験生にとってのヒントが満載です。
本文:安川大祐(税理士法人ウィズ総合事務所・税理士試験合格者)
コメント:山本庸介(税理士法人ウィズ総合事務所代表・税理士)
安川大祐さんの受験歴
令和3年 簿記論・財務諸表論合格(ともに独学)
令和4年 消費税法合格(独学+TAC直前期講座)、国税徴収法合格(TAC基礎マスター+直前期講座)
令和5年 法人税法合格(TACのWeb通信)
なぜ36歳で税理士試験を受験したのか?
福井県大野市にある税理士法人ウィズ総合事務所に勤務する安川大祐と申します。以前、会計人コースWebで「バケモノと呼ばれた男の最速合格マインド」の記事を執筆された山本庸介先生のもとで日々働いています。
私は現在38歳なのですが、現時点では業界歴の方が税理士試験の勉強期間よりも短いです。働きながら3回の受験、期間にすると2年4ヵ月で官報合格を果たしたという事実は、通常と比べるとだいぶ早いようですが、会計業界や税理士受験界隈に疎い私からすると、あまり実感のない話なのです。
このような合格体験記を読まれる方々が、どのような内容を求めているのかは私にはわかりかねるのですが、最初から勉強方法などの話をしてもあまり面白くないのではと思います。そんなことよりも、38歳で3回目の受験で合格したということは、36歳で税理士試験初受験だったわけです。
「なぜ36歳にして税理士試験を受験したのか?」というほうが興味が湧きませんか?
自分で言うのも何ですが、どう考えたって紆余曲折がありそうじゃないですか?
「2年4ヵ月で官報合格」した38歳の人間がどんなパーソナリティなのかがまず気になりませんか?
というわけで、まずは私がなぜ税理士試験を受験するに至ったかをお話ししていきます。
はじめての就職先は学習塾
私は前述の福井県大野市で生まれ、そこで育ちました。高校は地元の大野高校に通い、大学は一浪の末京都大学理学部に入学しました。自分の履歴書を書く時、ここまでは何も思わず書けるのですが、ここからが問題なのです。
というのも、まず大学を卒業するのに8年かかりました。そして最初に就職したのは卒業から約1年半後、もう29歳になろうとする頃でした。
就職先は福井市にある学習塾でしたが、学習塾を選んだ理由は、「自分の唯一のストロングポイントである学歴を有難がってくれて、職にありつけるのではないか」と思ったからです。そして、まんまとありつけたわけです。しかし、そんな消極的な理由により選んだものには、そう長く続かず限界がやってきて、4年10カ月ほどで退職しました。そして、そこから約2年後、 山本総合会計事務所(現・税理士法人ウィズ総合事務所)に就職し、今に至ります。
私は現在38歳なのですが、働いた期間は実は7年ほどしかありません。同年代の大卒の人と比べると、9年ぐらい短いのです。山本先生にも、採用の面接の際に、「何もやってない期間が長すぎる」と言われました。本当にその通りだと思います。何も言い返せません。
しかし、そんな私なのですが、塾講師をしていた時は、一丁前に「これは本当に自分の適性に合っていて、自分の能力を十分に発揮しているのか? 自分はちゃんと評価されているのか?」と常に疑問に思っていました。
私の状況を鑑みれば、「職にありつけただけでも儲けもんだろ。高望みするな」と言われればそれまでなのですが、積極的な理由で職を選んだわけではなかったので、就職して時間がたつにつれ、このもどかしさのようなものを常に感じていました。
正直言って、前の会社では、「このまま都合のいいように安い給料でずっと使われていくだけなんじゃないか」と思っていました。京大っていうだけで、福井みたいな田舎の小さな塾では想像以上に有難がられるものなんですよ。そういうこともあって、社長のただの都合のいい持ち駒である感は否めなかったです。
一浪して京大ということからも察することができるかもしれませんが、10代のころの私は最低でも「京大」という肩書きが欲しいと思っていました。そして、学歴とすると自分の中では「京大」くらいで十分だったのです(十分とか言っていますが、私では京大で精一杯だったと思います)。
しかし、塾講師をやっている頃、30歳を過ぎた自分にあるのは、いまだに京大という「名」だけでした。そこには「実」が全く伴ってなかったのです。30歳も過ぎてるっていうのに、自分が語られるときは、まず「京大」がきて、そしてそれしかないわけです。20代ならまだそれでもいいのかもしれませんが、30代で学歴しかない人間なんて、ただの難あり物件ですよね。
そして、ここでいう「実」とは、給与などの待遇だけでなく仕事内容もです。特に子供が好きなわけではなかったので、「俺はいつまで子供の相手をしないといけないんだ」と思わずにはいられなかったですし、正直言って、例えば50歳になっても塾講師なんてやりたくないと思っていました。
「名」と「実」を求めて学習塾を退職
というわけで、私は30歳半ばにして、「名」と「実」を求めて塾講師を辞めたのでした。そして目を付けたのはアクチュアリーでした。まだ税理士じゃないです。
アクチュアリーを目指した理由とすると、まずは自分の適性に合っているのではないかということでした。そして、これは前の会社の社長から聞いたことなのですが、アクチュアリーは、通常は30歳ぐらいまでにアクチュアリーになることを見込まれて新卒で保険会社に採用されるそうで、そしてアクチュアリーになるとだいたい年収1,000万円ぐらいとのことでした。
それと、保険会社に新卒で就職する以外にも、アクチュアリーを派遣する会社に登録して、そこから保険会社に派遣されるというルートもあるそうで、その場合だと年収はだいたい800万円ぐらいとのことでした。この派遣のアクチュアリーであっても、塾講師時代を考えると十分すぎるほどです。
以上から、アクチュアリーは、自分にとっては名実ともに揃っていました。しかし、アクチュアリーへの道は早々に頓挫しました。富士山で言うと、1合目も行ってないぐらいであきらめました。正直言って、アクチュアリーになる自分が全く想像できなかったのです。
というのも、アクチュアリーの対策本や参考書などは一通りそろえたのですが、その対策本を書いている人がアクチュアリーではなかったのです。アクチュアリー試験は、まず1次試験に合格すると準会員、さらにそこから2次試験に合格すると正会員となり、晴れてアクチュアリーとなるのですが、その対策本の執筆者はなんと準会員だったのです。それを見たとき「アクチュアリーになるのなんて無理じゃね?」と正直思いました。
しかし、当時の自分は、アクチュアリー以外に名実が伴う職が思い浮かばなかったので、「とりあえずは働きながらアクチュアリーを目指そう」などと思っていました。そこで、働き口を探そうとし、ハローワークで経理・事務職を探し出したのです。
そうすると、だいたい「日商簿記2級必須」などと書いてあるんですよ。そこで私は、まずは経理系の仕事に就職するために簿記2級を取ろうと思ったのでした。
これが私と簿記との深いつながりの始まりでしたし、税理士試験の始まりであったと言えるかもしれません。ちなみに簿記3級は塾講師時代に取りました。
そして、このときの私は思ったのです。「どうせなら簿記1級まで取った方がいいんじゃないか」と。
というのも、30半ばのいい歳したおっさんが、簿記2級をとったって就職なんてできないと思ったからです。「最低でも簿記1級ぐらいは取ってないと就職できないんじゃないか」と、このときは思っていました。今となってはわかるのですが、実際問題、簿記1級を取ったって就職には関係ないと思います。何せ、所詮は30半ばにして5年も働いたことない、いい歳したおっさんですから。
そして簿記1級を勉強していく中で、いつの間にか税理士を目指すようになっていました。簿記1級のテキストの最終ページに税理士試験の講座案内が必ず載っているんですよね。そのせいで、税理士試験のことを調べるようになったわけですよ(まさに一種の洗脳みたいな感じですが…)。
すると、簿記1級と税理士試験の親和性が高いことがわかり、こう思うわけです。
「せっかく簿記1級まで勉強するのなら、その後、税理士も目指したほうがよくない?」と。
このように、私は、まず熱い思いなどがあって税理士を目指したわけでは決してありません。もちろん税理士は、自分の特性に合っていて、自分の能力を発揮できそうだとは思っていました。しかし、「簿記1級の流れで、税理士の資格も取れるなら取ったほうがいいんじゃない? 持っていて得することはあっても、損することはないし」という、正直軽い気持ちで始まっています。打算的に考えて、アクチュアリーは無理だと思ったのですが、「税理士にはなれる」と思ったのです。
なぜ税理士にはなれると思ったのか?
その理由を一言で表すなら、受験生の質ですかね。理学部数学科ばかりがいるアクチュアリー試験とは違い、税理士試験は受験生の層が幅広いので勝負できると思いました。
自分でもよく分かりませんが、税理士にはなれると思っていました。大学受験の時に、京大には入れると思っていた感覚となんとなく似ているかもしれません。「自分が達成することができるものだ」と直感的に感じていたように思います。アクチュアリーには決して持てなかった感覚です。税理士試験の場合は、簿記1級の学習によって、ある程度は輪郭が見えていたことも影響しているかもしれませんが。
結局のところ、私が税理士を目指した理由というか、一連の行動というのは、例えば、高校生が将来の就職に有利な大学や学部を選ぶこと、または大学生が将来の自分の社会的地位や年収を考えて就活することと同じようなことだったのかなと思います。
正直言うと、自分の人生で、そのようなことってしたことなかったんですよね。就職に有利とかいう理由で京大理学部を選んだはずもないですし(過去の自分に会えるなら大学の学部で理学部だけはやめとけって言います)、大学生の時に就活なんてやったこともなかった(というかできなかった)ですから。
今回改めて過去の自分の気持ちを思い返してみましたが、正直言うと理由なんて、なんてことはないですね。蓋を開けてみれば、30代半ばから始める遅めの就職活動だったわけですから。
しかし、タイミング的には本当にギリギリだったのかなと思わずにはいられません。というか、運よく山本先生の事務所の求人を見つけ、そして採用されたことが本当に僥倖でした。
遅めの就職活動なんて書いていますけど、冷静に考えると、塾講師しかしたことない社会経験がほとんどない36歳がよく就職できましたよね。本来なら、もう職を選べる立場ではないですから。
こんな私を採用してくれた山本先生には本当に感謝しています。やはり、「バケモノと呼ばれた男」は普通の人とは度量が全く違いました。後編ではそんな山本先生から引き継がれたバケモノメソッドと勉強法を紹介していきます。
事務所所長・山本庸介先生からのコメント
2021年7月に独立開業してすぐにハローワークを通じて求人を出しました。9月に応募があったのが安川さんとの出会いです。このとき既に6名内定を出していました。独立したばかりで売上も読めない中で、正直言ってこれ以上採用できる状況ではないと思っていました。
履歴書を見ると京大を8年かけて卒業し、職務経歴がほとんどありません。直感的に「絶対ヤバい奴だ」と思いました(笑)。仲の良いクライアントに相談したところ、「面接すらせずに落とせ」と言われました。保守的な田舎だと、京大卒という高学歴がわざわいして、扱いにくい存在と思われることもしばしばあります。
悩みましたが面接することにしました。そして、悪い奴ではなさそうと思い、採用しました。採用を決意した大きな理由は、私自身が35歳にして地元福井県にUターンし、これまでの経歴とは全く関係のない税理士業界に飛び込んだ境遇に似たものを感じたからです。ウチが採用しなければどこにも採用されず路頭に迷うかもしれないと思ったのも理由の1つです。
もちろん勝算はありました。税理士業界は高齢化が進んでいます。様々な業種のクライアントとお付き合いあるので、別業界での経歴が活きることもあります。30代半ばは税理士業界だと若いほうです。
安川さんが実際に働いている姿を見て、仕事を覚えるスピードも早いし、地頭の良さも感じました。私自身も彼は税理士になれるだろうと思ってましたし、本人が税理士になれるという自信を持っていたのは感じていましたね。
(後編へつづく)
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