わたしの独立開業日誌 #税理士・よーてん


【編集部から】
士業の魅力は、独立開業できることにもあります。「将来は独立」を目標に合格を目指している方も多いのではないでしょうか。
そこで、「わたしの独立開業日誌」では、独立した先輩方に事務所開業にまつわるエピソードをリレー形式でお話しいただきます(木曜日の隔週連載)。
登場していただくのは、税理士・会計士をはじめ、業務で連携することの多い士業として司法書士や社労士などの実務家も予定しています。
将来の働き方を考えるヒントがきっと見つかるはずです。

多忙を極めた社会人5年目の時、緊急入院することに

私が税理士になったきっかけは、父が税理士で、父が始めた事業を世に残したかったからです。
新卒では比較的大手の東京のIT企業に就職し、約5年東京で暮らしていました。正直仕事はあまり好きではありませんでした。
毎日のように遅くまで仕事をし、社会人なんてものはこんなものかと、一緒に上京した大学の友人達と愚痴をこぼして過ごすのが、最初の1~2年でした。
少しずつ仕事には慣れつつも、あまり上昇思考はなかったので、休みの日は趣味に没頭するような20代を過ごしました。

転機が訪れたのは26才の時でした。社会人5年目で上司からもそれなりに信頼され、今一番勢いに乗っているなどと言葉をかけてもらっていた矢先でしたが、仕事は多忙を極め、ストレスもあったのだと思います。
大きな提案をするために資料を手にクライアントに向かう道の途中、私は突然平衡感覚を失い、道に倒れこんでいるところを上司に発見され、そのまま緊急入院となりました。椎骨動脈解離による、小脳梗塞でした。

約2週間の入院後、1ヶ月会社を休職し、無事に後遺症なく職場には復帰したものの、私は自身の人生に疑念を持つようになっていました。
もしここで人生の幕を下ろしていたとして、私の社会人生は誇れるようなものだったのだろうか。

新卒から頑張って会社で仕事はしましたが、仕事がそこまで好きなわけではありませんでした。
じゃあ何かやりたい仕事があるかと言っても、音楽が好きで当時も色々と活動はしていましたが、それで食べていけるとは思っていませんでした。

父の仕事を継ぐ

何の仕事だったら自分の人生を賭けられるだろうか、そう考えた末に辿り着いたのが、父の仕事を継ぐということでした。

私は末子でしたが、兄や姉は税理士の仕事はしていませんでした。私も学生時代は一切会計の勉強をしていなかったので、簿記3級からのスタートでした。
最初は元の仕事をしながら少しずつ簿記の勉強を始めていたのですが、簿記2級を取るのに1年を費やしてしまいました。
これではだめだと覚悟を決めて、会社を辞め父の事務所に転職したのが、28才のときでした。
父は当時78才、父の目が黒いうちに税理士にならなくてはと、そこからは父に仕事を教えてもらいながらほぼ全ての自由な時間は勉強に充てました。

父の仕事も縮小傾向にあったので、人脈形成のためにも勉強をしながら異業種交流会にも足を運びました。
1年後、税理士試験の簿記論と財務諸表論に合格し、法人税法と消費税法の同時合格を狙って受験を終えた2年目の夏、異業種交流会で出会った税理士の方に、「一緒に仕事をしてみないか」というとてもありがたい話を頂戴しました。

私は父の下以外に税理士事務所での仕事経験がなかったので、これはチャンスと思い、快諾をしました。
自事務所の仕事、修行先の仕事、勉強、家庭、それらのバランスを考えながらリソース配分をするのはとても大変でしたが、とても良い経験をさせてもらいました。

結局2年目は法人税だけしか合格できず、3年目も今度こそと思い消費税と相続税を同時に受験しましたが、消費税しか合格せず、結局4年目に相続税を受けて官報合格を果たすことができました。

比較的順調には合格できたのですが、それでも最後の1科目が永遠に受からないのではないかと、毎晩うなされたこともありました。
お金と時間の兼ね合いで大学院へ行く選択肢も何度も頭をよぎりましたが、私は転職で税務の世界に飛び込んだ身だったので、科目合格に対するこだわりはあったかもしれません。

令和元年に再始動!

税理士登録をした年の年末に、父と代表を交代することになりました。「令和元年に再始動」と言いたかったからです。

同じ年の夏に修行先の税理士事務所は退所し、自事務所1本で頑張ることにしていました。
修行先の事務所はとても居心地がよく、このまま一緒にやらないかと誘っていただき、正直ものすごく揺れましたが、私が税理士になったのは父が始めた税理士事務所を世に残すことだったので、断腸の思いでお断りしました。
しかし、そこからが大変でした。

正直、何度も「やっぱり修行先の事務所の傘下に入ろうか」と思いましたが、それまでの営業活動の甲斐もあり、規模は大きくないですが月に1件くらいは新規の契約をいただけるようにはなっていたので、なんとか心の平静を保って代表交代までたどり着きました。

代表就任直後の年明け、「人を雇わないと事業拡大はできない」とどの先輩も同じことを言うので、言葉の通りまずはスタッフを1人雇うことにしました。
今思い返すと、その売上でよく人なんて雇ったなと思うのですが、その後のことを考えると精神的にはかなり助けられたと思います。

父も代表を交代し、どこか緊張の糸が切れてしまったところもあったのでしょうか。こともあろうか、スタッフが事務所に来てくれた翌日、父は趣味の運動中にアキレス腱を切って病院に搬送されたのです。

最初は「確定申告の忙しい時期に何をやっているんだ」と文句を言う余裕もあったのですが、その後、事態は急変します。
入院中に不整脈が発見され、心臓にペースメーカーを入れることになったのですが、そこから急速に父の体調は悪化することになりました。

その頃に、世の中はコロナ禍に突入します。この時期おそらく、スタッフが居てくれなければ私1人では心が折れていたかもしれません。
今でこそ父は回復し、仕事からは退いたものの静かな余生を過ごしてくれていますが、当時、コロナ禍でまともに面会もできず、最終的には生還率60%の心臓の手術を乗り越えないといけなくなり、意識のない父の前で医師から説明を受けた時には、本気で父の死を覚悟したものです。

SNSでの集客を始めたきっかけ

高齢の父に負担をかけたくなかったので、入院前からある程度の仕事は既に引き継いでいましたが、一部父がやっていた仕事も対応しながら、スタッフを雇った分の売上も確保しなければなりませんでした。
コロナ前は異業種交流会に顔を出したり、知り合いのコワーキングスペースで無償セミナーを行ったり、納税協会や税務署の指導員に積極参加したりすることで少しずつ顧問先を増やしていました。しかし、コロナ禍に入ってからは、不在となった父が処理していた顧問先の対応を含め、混乱の中、コロナ融資や給付金の情報をかき集めて情報提供をしながら、スタッフを雇い入れた分の売上も拡大させなければなりませんでした。

当時、入院中の父の病院へ母を送り迎えをしなければいけないのに、面会謝絶で私は車で待機をしていなければならなかったりして、思うように仕事が手に付かない日もありました。
そんな中、「少しでも仕事を前に進めている実感がほしい」と思い、始めたのがSNSでの集客でした。はじめはスキマ時間にSNS運用の例に習って、繋がりを増やしたり、情報発信をして反応を得たりすることで、少しでもビジネスの機会に触れる実感が欲しかっただけだったのですが、コロナ禍の中、そうやってインターネット上でビジネスを試みようとする人が多かったこともあり、そのような方々に私の発信は少しずつ認知されるようになり、問い合わせをいただくようになりました。

元々、東京の知り合いからの依頼で仕事をもらうこともあり、遠方の顧問先を作ることにあまり抵抗のなかった私にとって、WEB会議が普及したことは追い風になったと言えます。
元々あった遠方の顧問先とWEB会議を使ったやりとりを試してみたところ、非常に効率がよく、この仕事は遠隔サポートにも適しているという確信があったのです。

時間や場所にとらわれず、PCの画面を共有して会計の数字を見ながらの打合せは、むしろ対面で行うのよりも効率的にすら思え、近場の顧問先であっても、PCを使いこなしている方であれば、WEBでのやりとりを積極的に取り入れた結果、業務効率は飛躍的に向上しました。

それでも、SNSで繋がった方と初回面談から全てWEBのみで行うのは少し抵抗がありましたが、当時は藁をも掴む思いだったので、遠方の方に対してもサポートを実施するようになりました。
物理的な距離をカバーできるように、チャットなどのITツールは積極的に利用し、距離はあってもいつでもどこでも気軽に税理士に相談ができる環境を構築できるように努力をしました。

また、契約をするのはある程度SNS上でも交流を重ねて一定の信頼関係のある方、または紹介を受けた方に限定することで、ネットで繋がった身元がわからない方とやりとりをすることのリスク対策をしております。なので、契約に至るまでは私自身もSNS上では匿名での発信を行っています(そのため、本記事も匿名での掲載にしました)。

気付けば代表就任後1年で、元々1,000万円を下回っていた事務所の売上は倍になっていました。
その後も、地域や元々の繋がりに加えて、SNSを介した顧客拡大に後押しされ、ほぼ毎月複数件、新規のご契約をいただけるようになりました。

今ではスタッフも2人に増え、新規開業や新設法人などがほとんどではありますが、IT導入にも積極的な若い世代の経営者の方々と一緒に事業拡大をしていくのはとてもやりがいがあり、私自身、今の仕事に転職して心から良かったと思える今日この頃です。

【執筆者紹介】
よーてん

1986年生まれ、立命館大学卒業。大学卒業後はIT企業でマーケティング・コンサルティングに特化した営業職に従事。その後一念発起して転職し、税理士資格を取得。現在はITに強い税理士として活躍中。
著書に『薬剤師になったら最初に読みたい大学で教えてくれなかったお金の本』(メディカルタックス著、じほう)がある。
メディカルタックス(薬剤師×税理士による医療スタッフのための資産形成サイト)
・Twitter(@samurai_fishes

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